翻訳と辞書
Words near each other
・ パキスタン国立銀行
・ パキスタン国際航空
・ パキスタン国際航空268便墜落事故
・ パキスタン地震
・ パキスタン地震 (2005年)
・ パキスタン地震 (2013年)
・ パキスタン宇宙上層大気研究委員会
・ パキスタン宇宙高層大気研究委員会
・ パキスタン放送協会
・ パキスタン正義運動
パキスタン海兵隊
・ パキスタン海軍
・ パキスタン海軍艦艇一覧
・ パキスタン環境省
・ パキスタン空軍
・ パキスタン統合情報局
・ パキスタン総督
・ パキスタン語
・ パキスタン軍
・ パキスタン軍統合情報局


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

パキスタン海兵隊 : ミニ英和和英辞書
パキスタン海兵隊[ぱきすたんかいへいたい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

海兵 : [かいへい]
 【名詞】 1. sailor 2. marine
海兵隊 : [かいへいたい]
 【名詞】 1. Marine Corps 2. Royal Marines 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy
兵隊 : [へいたい]
 【名詞】1. soldier 2. sailor
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps

パキスタン海兵隊 : ウィキペディア日本語版
パキスタン海兵隊[ぱきすたんかいへいたい]
パキスタン海兵隊ウルドゥー語پا ک مير ينز英語Pakistan Marines、または単にMarines略称PM)は、パキスタン海軍が整備する海戦および遠征戦を実施することを目的とした海兵隊組織で、パキスタン海軍の現役将兵で構成される〔Pakistan Marines 〕。パキスタン海兵隊は海洋からの戦力投射を任務とし、即応性の高い諸兵科連合任務部隊を揚陸させるためパキスタン海軍の機動能力に依存している。1990年に編成され、海軍の現役将兵から約2,000人の要員がいると推定され、2015年までに旅団級に増強される計画である〔Pakistani Marines tour East Coast bases 〕。パキスタン海兵隊は海軍戦略戦力軍:en:Naval Strategic Forces Command (Pakistan))の指揮下に置かれている。
パキスタン軍の指揮系統上、海兵隊はパキスタン海軍の構成部隊として編制されており、訓練のため海軍と密接に運用され、遠征作戦と兵站活動を実施する〔。パキスタン海兵隊は独立軍種ではなくパキスタン海軍の一部である。パキスタン海兵隊は原型は1971年6月1日に編成された水陸両用大隊で、東パキスタン(現在のバングラデシュ)で河川作戦を遂行する海軍歩兵として確立された〔PNS QASIM 〕。しかし、作戦遂行能力は低く〔Pakistan Marines (PM) 〕、1971年に勃発した第三次印パ戦争後の1973年に組織再編の結果、一旦解隊される〔。1990年、オバイドゥッラー海軍中佐(Commander Obaidullah)により海軍の一部として再編成され、パキスタン海軍の一翼を担うことになる〔。
パキスタン海兵隊はアメリカ合衆国海兵隊イギリス海兵隊に類似した特殊作戦部隊として存在している。パキスタン海兵隊の訓練は海兵隊訓練学校で実施されるが、時折アメリカ海兵隊との共同訓練も行われる。海兵隊は海軍と密接な関係にあり階級制度は海軍と同一であるが、軍規と訓練はパキスタン陸軍と同じである〔。2010年、パキスタン大洪水:en:2010 Pakistan floods)は過去80年最悪の国家規模での氾濫であり、水没した地域で孤立する被災民救出のため海兵隊は陸海空軍による調整の下で、24時間態勢での救助活動に投入されている〔Amid the Pakistan floods: 'A village slowly drowning' 〕。
== 歴史 ==
パキスタン海兵隊の前身は1971年にまで遡り、当時東パキスタン海軍司令官であったムハンマド・シャリフ海軍少将(Mohammad Shariff)の指揮下部隊として、海兵大隊と水陸両用航空団が編成され一体運用のもとで管内の河川作戦の支援にあたった〔。東パキスタン領内は全域が平野部で覆われており、パキスタン陸軍は機械化が遅れており効果的な作戦は困難であったが、陸海空統合による戦場としては理想的な環境であった〔。インド軍の狙いと目的は東パキスタン、特にチッタゴンクルナの重要な地域の占領であった。この2つの地域に狙いをつけたインド軍は臨時政府(バングラデシュ人民共和国臨時政府)の設立を企図しており、東パキスタン全域の占領まで想定していなかった〔。東パキスタン海軍は河川作戦の実行が可能であったが、兵力は4隻の哨戒艇と約2ダースの徴用簡易哨戒船舶だけであった。しかし、特に上空援護が期待できない状況下では遠海に展開中であったインド海軍に対抗できなかった〔。一方で、海兵隊は国軍首脳部をして呆れる結果に終わり、ズルフィカール・アリー・ブットー政府はハンムードゥル・ラーマン委員会(Hamoodur Rahman)作成の白書を採用し、1974年に海兵隊は解隊された〔。
1990年4月14日、海軍参謀総長であったヤスタル=ウル=ハク・マリック海軍大将(Yastur-ul-Haq Malick)によって海兵隊は再建される。当初の目的は海軍施設の防護および海軍の機動力を活用しての民生支援の提供にあった。直ちに、海軍憲兵隊から要員が抽出され2個大隊が編成された。初代司令官にはオバイドゥッラー海軍中佐(M. Obaidullah)が着任した。当時の海兵隊司令部はフォート・カシムに置かれ、もしくはヒマラヤズ海軍基地(PNS Himalayas)の作戦統制下におかれた。第一弾として1990年11月25日、カシム海軍基地に訓練を依頼し仮設補充隊(DCU)が編成される。補充隊の要員は80人の士官と一般職種水兵67人および43人の海兵隊で構成された。部隊編成以来、海兵隊は最大級の積極性と献身を持って与えられた任務を遂行した。
最初の戦闘割り当ての一部として、海兵隊は最初の10年間で印パ国境地帯のサー・クリーク(:en:Sir Creek)地域に配備された。東西国境上の脅威は増大しており即時の軍事的対応は正当化された。脅威の性質と量の想定に基づき、パキスタン海軍はサー・クリーク地域に相当量の戦力の配備を提案した。後任のシャヒード・カリムッラー海軍少将(Shahid Karimullah)は精力的に新編大隊と段階的発展計画を追求した。以後、新編された河川大隊は指定地域を担任区として配備される〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パキスタン海兵隊」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.