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パク・ジニョン(、1971年12月13日 - )は、韓国の男性シンガーソングライター、音楽プロデューサー、演出家、実業家である。音楽プロダクションJYPエンターテインメントの創業者で、god、ピ、ワンダーガールズらをスターダムに導いたことで知られる。名前は「パク・チニョン」「パク・ジンヨン」「朴鎭英」「朴軫泳」〔本人が会員の韓国音楽著作権協会 (KOMCA) と相互管理契約を結んでいる日本音楽著作権協会の作品データベース には、「朴軫泳」として登録されている。〕と表記されることもある。 == 略歴 == 1972年、韓国ソウルで生まれる。父親の転勤で小学1年生の時に渡米し、2年余りニューヨークに居住。そこでブラックミュージックに触れて音楽にのめり込むようになり。また高校生の頃、日本の桑田佳祐のスキップビートを聴きアジア人でも黒人音楽ができると衝撃を受けたと語っている〔NHK K-POP青春グラフィティ〕〔K-POP 遙かなる記憶(田月仙著 小学館)〕。これらの経緯から、延世大学校に入学後、歌手になることを決意する。 そして、1992年にグループ「パク・ジニョン・グァ・シンセデ」(パク・ジニョンと新世代)で念願の歌手デビューを果たすも、売れずに失敗し、再デビューのために受けたオーディションにも次々落選と挫折を味わう。その後、歌手キム・ゴンモ(コンモ)のマネージャーに拾われ、コンモのバックダンサーを務めていた時に、コンモを手掛けていた人気プロデューサーのキム・ヒョンソクと知り合い意気投合〔。ヒョンソクの家に転がり込み、2年ほどヒョンソクから音楽理論を学ぶ〔〔。そして、1994年に今度はソロのR&B歌手として歌謡界に復帰すると、セクシャルな衣装とダンスで注目を集め、一躍人気者となった〔。このいきさつはNHK番組のK-POP 青春グラフィティ(2010年)でも本人自らが語っている。 1997年には、それまで所属していたデヨンAV(のちのポイボス)から独立し、個人事務所「テホン企画」(のちのJYPエンターテインメント)を設立する。同時にプロデュース活動も開始し、R&Bやヒップホップ調の曲に家族愛など庶民的な内容の歌詞を付けて歌わせ、男性アイドルグループ「god」(ジーオーディー)を幅広い年齢層から支持される国民的グループに押し上げるなどの手腕を発揮。その後も自社所属のピやワンダーガールスを人気歌手に育て上げ〔、JYPエンターテインメントを韓国4大音楽プロダクションのひとつにまで成長させた〔。 2003年には米国に進出し、ロサンゼルスを拠点にプロデュース活動をスタートさせる。つても無く苦労を強いられるも〔、2004年にメイスの復帰作に曲を提供したのを皮切りに、キャシーやウィル・スミスのプロデュースを手掛けるなどの実績を築いた〔。日本でも活動し、AIやSMAPとコラボレーションを行った。 2007年にはプロデュース業のかたわら、約6年ぶりに歌手活動を再開し〔、2008年には韓国の大統領直属諮問機関「未来企画委員会」の民間委員に任命され、2年の任期を務めている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パク・ジニョン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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