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朴 鎮萬(パク・チンマン)は大韓民国の元プロ野球選手(遊撃手)。右投げ右打ち。 == 来歴 == 仁川高校卒業後、1996年現代ユニコーンズでプロデビュー。守備センスを現役時代名遊撃手だった金在博監督に買われて、高卒1年目からレギュラーの座を獲得。以後、内野守備の要として2004年まで3度の韓国シリーズ優勝に貢献。 2004年シーズンオフ、フリーエージェントとして現代ユニコーンズから最高39億ウォン(約3億9000万円)という破格の条件で三星ライオンズに移籍した。三星でも2005年、2006年の連覇に貢献。 現代、三星といった最強戦力を誇ったチームでも、その座に揺るぎない守備力で、早くから代表チームの常連になった。1998年バンコクアジア競技大会を初め、2000年のシドニーオリンピック野球韓国代表、2002年の釜山アジア競技大会代表、2006年の第1回WBC韓国代表など、かずかずの国際大会で、スタメン遊撃手を務める。 2008年北京オリンピック野球韓国代表としても代表チーム入りした。2008年はシーズンを通して故障で不振が続き、オリンピックでも無安打が続いたが、決勝戦のキューバ戦の最後の打席でヒットを放ち、結局その試合の決勝点のなる3点目のホームを踏んだ。守備でも9回1死満塁の危機で、自分の前に転がってきたゴロをさばき、試合を決めるダブルプレーにつなげた。一打逆転サヨナラ負けの危機という土壇場でその名声に遜色のない活躍を見せ、韓国のオリンピック初金メダル獲得に貢献した。 2008年シーズン後、2度目のフリーエージェントの権利を取得、権利を行使したが、そのまま三星に残留することで決着がついた。三星移籍後は肩などの故障が相次ぎ、現代在籍時と比べると出場試合数は減っている。2010年は故障や不振でかつての守備力はすっかり見る影もなくなっていた。この年は金相豎の台頭により43試合の出場にとどまり、2009年から結んだ3年契約が1年残っていたが、この年限りで退団することとなった。2011年からは出身地・仁川を本拠地とするSKワイバーンズでプレーすることになり、ショートとして起用され衰えぬ技量を見せた。だが2012年は故障もあり57試合の出場にとどまり成績も悪化した。2013年は2年ぶりに100試合に出場した。2015年限りで引退し、SKの一軍守備コーチに就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朴鎮萬」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Park Jin-man 」があります。 スポンサード リンク
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