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朴 柱成(パク・チュソン、ハングル: 、ラテン翻字: Park Joo-Sung, 1984年2月20日 - ) は、韓国出身のサッカー選手。元同国代表。ポジションはDF(左サイドバック)。 == 来歴 == 2003年、馬山工業高等学校より水原三星ブルーウィングスに入団。2005年から2年間、兵役のために尚州尚武フェニックスFCに在籍した時期を除いて、水原には2008年まで在籍した。この間に通算で26試合に出場した。また2003年4月16日に韓国・ソウル特別市内にて行われた日本代表との親善試合において、90分に朴忠均と交代する形で出場し、韓国代表にデビューした〔国際親善試合 日本代表 対 韓国代表 JFA公式サイト 2010.3.11 12:37 (UTC) 閲覧。本記事中では「パク・ジュソン」という表記になっている。〕。2005年に1試合出場機会があったが、2006年7月、梁相珉の負傷によって追加招集された〔손춘근 (ソン・ジュングン), 박주성, 양상민 부상으로 대표팀 막차 행운 sportalkorea.com 2006.07.31付記事〕が負傷により別メニューでの参加となった〔석기자 (ソク・キジャ), 이강진, 박주성 부상으로 경쟁 탈락 ニュースネイバー 2006.8.8付掲載記事 2010.3.11 12:55 (UTC) 閲覧 (データ元: sportsseoul.com)〕。同年10月には張學英の負傷により代表に追加招集された〔장학영, 부상으로 대표팀 제외…박주성 합류 mydaily.co.kr 2006.10.4付記事〕。 2009年にベガルタ仙台へ完全移籍〔朴 柱成(パク チュソン)選手完全移籍加入のお知らせ ベガルタ仙台公式サイト 2009.1.9付ニュースリリース〕。仙台においては左サイドからの攻撃を担った他、同年11月21日にユアテックスタジアム仙台にて開催されたJ2リーグ第49節C大阪戦においては、「自分が一番避けたい物のひとつ」〔【J2:第49節 仙台 vs C大阪】試合終了後の仙台選手コメント J's GOAL 2009.11.22付記事〕であるヘディングで、後半ロスタイムにラストプレーで決勝点となるゴールを決めるなど、仙台のJ1復帰に貢献した。 2010年8月7日、対横浜F・マリノス戦の前半30分過ぎ、ピッチ上で熱中症で倒れて途中交代した。午後7時の開催ではあったが気温は30℃に迫り、湿度は70%、風がない非常に蒸し暑いコンディションであった〔仙台・朴柱成が熱中症…突然ピッチに倒れる 、サンケイスポーツ、2010年8月7日。〕。この日、仙台は0-1で敗れている。試合後、手倉森誠監督は「独身の朴が日常生活でいかに栄養に気を配っていないかがわかった。もっとキムチを食べたらいいのに」とコメントした〔J1第17節 仙台 vs 横浜FM 手倉森誠監督(仙台)記者会見コメント 、J's GOAL、2010年8月7日。〕。また数日後にも、手倉森監督から「プロが熱中症なんてJリーグ始まって以来だろ。情けない。繰り返すようならプロ失格だ」と怒られた〔仙台SB朴柱成熱中症ダウンの汚名返上だ 、日刊スポーツ、2010年8月20日。〕。 2011年・2012年も左サイドバックのレギュラーとして仙台のリーグ戦上位進出に貢献したが、2012年12月6日に契約非更新が発表された〔契約満了選手について(ベガルタ仙台公式) 〕。外国籍選手としてはクラブ最長(当時)タイの4シーズン在籍〔過去にドゥバイッチ(1997年途中入団 - 2000年)、マルコス(2001年 - 2003年途中登録抹消、2004年開幕 - 途中退団)、シルビーニョ(2002年 - 2005年)がいる。〕し、リーグ戦通算出場試合数153はクラブ外国籍選手歴代1位。 2013年1月、慶南FCに加入。2014年シーズンは主将も務めた。 2014年12月15日、貴州人和に移籍することが発表された〔俱乐部公告:韩国球员朴柱成正式加盟我俱乐部 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朴柱成」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Park Ju-sung 」があります。 スポンサード リンク
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