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朴 主永(パク・チュヨン、、1985年7月10日 - )は、大韓民国・大邱広域市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。Kリーグ・FCソウル所属。韓国代表。 == 来歴 == === クラブ === 高麗大学校在籍中の2005年、FCソウルに加入、デビューシーズンは満場一致で新人王を獲得した。これはKリーグ史上初の快挙であった。 2008年にリーグ・アンのASモナコに移籍。移籍金は200万ユーロで、背番号は10となった。リーグ・アンデビュー戦となった9月13日のFCロリアン戦で初ゴールを記録。レギュラーとして定着し、2010-2011年度は12得点(内PK4)を挙げたが、所属チームのASモナコは降格となった。 2011年、モナコの降格に伴い移籍を志願。LOSCリール・メトロポールへの移籍が目前となったものの、メディカルチェックをキャンセルして8月31日にプレミアリーグのアーセナルに移籍した〔韓国代表FW、リールを蹴ってアーセナルへ? Goal.com 2011年8月27日〕〔アーセナルは欧州最後のクラブになるだろう パク・チュヨン:「アーセナルは欧州最後のクラブになるだろう」 Goal.com 2011年9月1日〕。移籍1年目の2011-2012シーズンは、リーグ戦の出場が1試合(7分間)で存在感が皆無に等しい結果に終わった〔「ベンゲル監督、選手を見る目失った…朴主永が代表例」…英メディア 中央日報 2012年1月25日〕〔Top Ten: Worst Players Of The Season 〕。シーズン終了後には、ルーカス・ポドルスキの移籍加入に伴い、背番号も当然9から30に変更となった。 2012年8月31日、リーガ・エスパニョーラのセルタ・デ・ビーゴへ1年間のレンタル移籍が発表された。2012年9月22日、ホームのヘタフェ戦で初ゴールを挙げ(試合は2対1で勝利)、リーガ・エスパニョーラで得点を挙げた初の韓国人選手となった。 2012-13シーズン終了後アーセナルに戻り、2013-14シーズンはアーセナルの選手として始動した(背番号は30)。2013年10月30日、リーグカップのチェルシー戦の81分にアーロン・ラムジーとの交替で6カ月振りの試合出場を果たした(試合は0対2で敗戦)。 2014年1月31日、フットボールリーグ・チャンピオンシップのワトフォードFCへレンタル移籍が発表された。 2014年6月26日、ワトフォードからレンタル元のアーセナルに復帰したが、同月末で契約満了に伴い退団した。 2014年10月1日、サウジ・プロフェッショナルリーグのアル・シャバブFCと契約。 しかし、サウジアラビアではなかなかコンディションが上がらず7試合で1ゴールと結果を出せずにいた。2015年2月5日、アル・シャバブFCとの契約を解除された。10月に加入してから、わずか4ヶ月での退団となった。 2015年3月10日、古巣のFCソウルに加入した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朴主永」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Park Chu-young 」があります。 スポンサード リンク
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