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パッカードベル(''Packard Bell'' )は、アメリカで創業し現在はオランダに本社を置いた電気機器メーカー。2007年にエイサーに買収され、独立した企業としては消滅した。 名称よりヒューレット・パッカード(コンピュータメーカー)やパシフィック・ベル(電話会社)と混同ないしグループ企業と誤認されることが多いが、これらとは無関係である。 ==概要== 1933年、ロサンゼルスで無線機器メーカーとして創業。1986年にベニー・アラジェムらの投資家グループにより買収され、1990年代前半より低価格のパーソナルコンピュータ(PC)の販売で攻勢を仕掛ける。高級路線のIBMやコンパックに対し、低価格路線の店頭販売で一時は米国内でシェア2位にまで登り詰めたが、直販のデル、ゲートウェイの低価格PC参入などで収益が悪化した。 1995年、日本でPC-9800シリーズからPC/AT互換機への切り替えが課題となっていた日本電気(NEC)が資本参加し、1996年7月には日本電気の海外部門と合併してパッカードベルNECとなった。また、同年10月に日本法人のパッカードベルNECジャパンを設立した。この戦略はNECにとって上記の日本でのAT互換機対応の他、ほとんどシェアのなかった海外(特に北米)PC市場への進出を企図したものであった。 日本ではパッカードベルNECのPCは主にダイエーや家電量販店、ネット通販で販売されたが振るわず、NEC本体も1997年発売のPC98-NXシリーズ以降はPC/AT互換機への切り替えが進んでパッカードベルNECの存在意義が薄れた。一方、上記の通り米国内のシェアは年々低下し、NEC本社からの度重なる金融支援にもかかわらず業績は好転せず、繰り返される支援を「年中行事」と揶揄されるほどだった〔パッカードベルがNECに残したもの---戦略なき投融資のツケ重く 日経BPネット1999年11月16日〕。 1998年7月には完全子会社化して事業の回復を図ったが、日本法人はPC98-NXシリーズ(Avanza NX)のダイレクト販売への転換を経て1999年6月に解散。米国でもこの年eMachinesの「無料パソコン」が登場してからはほとんど売れなくなり、NECは同年11月に年内での工場閉鎖を含むリストラ策を発表、米国でも2000年にPC事業から撤退するとともに社名を「NECコンピューターズ」に変更した〔。以降はヨーロッパ市場でオランダに本社を置いてPC事業を継続するのみであり、パッカードベルはチリ・ヨーロッパ・アジア・太平洋地域の一部(日本は含まれない)でのブランド名として残るだけであった。 2006年10月16日には、株式をeMachines(現ゲートウェイ)創業者のラップ・シュン・ヒュイへ売却した。これにより、NECグループからパッカードベルブランドが完全に消滅した〔NEC、欧州の個人向けパソコン事業売却を発表 (IT+PLUS・2006年10月16日)〕。 現在は欧米市場でデジタルオーディオプレーヤーなどを中心に製造を行っている。 2007年10月、パッカードベルは台湾のパソコンメーカーエイサーにより買収されることが発表された。2008年2月26日、欧州委員会がパッカードベル買収を承認した。〔欧州委員会、AcerによるPackard Bell買収を承認 (ITmedia 2008年2月29日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パッカードベル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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