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パット・ホワイト(Pat White 1986年2月25日- )はアラバマ州ダフネ出身のアメリカンフットボール選手。現在、フリーエージェント。また野球選手として、カンザスシティ・ロイヤルズ傘下のマイナーリーグチームにも所属していた。 == 経歴 == === プロ入りまで === 高校時代には州の「ミスター・フットボール」投票で3位となったことがある。3年次には1905ヤードを走り、31タッチダウンをあげた。またパスでも1488ヤードを投げて15タッチダウンをあげている。野球でも投手と外野手を務めた。 彼はウェストバージニア大学、オーバーン大学、ケンタッキー大学、ルイジアナ州立大学、ミシシッピ州立大学、ヴァンダービルト大学のいずれかへ進学することを望んだが、クォーターバックとしてのチャンスを彼に約束した唯一の大学、ウェストバージニア大学に入学した。 2004年のMLBドラフト4巡でアナハイム・エンゼルスから指名されていたが、カレッジフットボールを続けるためにこれを断っている。当初、アダム・ベドナリクと併用された。ベドナリクが負傷したルイビル大学戦では途中出場し、トリプルオーバータイムの末、46-44で勝利した。この試合ではチームメートのスティーブ・スレイトンがビッグ・イースト・カンファレンス記録となる6タッチダウンをあげた。カンファレンスを制したチームはシュガーボウルへの出場権を獲得しジョージア大学と対戦した。試合はハリケーン・カトリーナの影響でルイジアナ・スーパードームが使用できなくなっていたため、敵地とも言えるジョージアドームで行われたが彼は77ヤードのラン、120ヤードのパスで1タッチダウンをあげ、チームは38-35で勝利した。この年彼は828ヤードを投げて8タッチダウン、952ヤードを走って9タッチダウンをあげた。 2006年、彼は1655ヤードを投げて13タッチダウン、1219ヤードを走り18タッチダウンをあげて、カンファレンスの最優秀攻撃選手に選ばれた。この年のピッツバーグ大学戦ではランで204ヤード、2タッチダウン、パスで220ヤード、2タッチダウンをあげた。同じ試合にラン、パスで200ヤード以上獲得したのはNCAA史上8人目のことであった。ジョージア工科大学とのゲイターボウルでは第3Q途中、18点リードを許したがその後21点を連取して38-35で逆転勝利し彼がMVPに選ばれた。これらの活躍で、2007年5月8日、アラバマ州の最優秀アスリートに選ばれた。 2007年勝てばボウル・チャンピオンシップ・シリーズ出場となるピッツバーグ大学戦で親指を負傷し、試合の大部分を欠場、ファンブルやFG失敗などミスが相次ぎ、第4Qに敵陣へ2度ボールを進めた際に試合に復帰したが、いずれも4ダウンギャンブルに失敗、試合に敗れた。チームはフィエスタボウルに出場、オクラホマ大学と対戦し、彼は176ヤードを投げて2タッチダウン、150ヤードを走り、48-28で勝利した。 2008年のヴィラノヴァ大学との開幕戦ではパス33本中25本を成功、208ヤードを投げて、自己ベストの5タッチダウンをあげた。これはマーク・バルジャーが1998年に作った6タッチダウンに次ぐ大学史上2位タイの記録であった。この年、ルイビル大学戦でブラッド・スミスが持っていたNCAA1部校のQBのラッシング記録を更新した。また同じく10年前にドノバン・マクナブが作ったカンファレンス記録である通算96タッチダウンを更新する98タッチダウンをあげた。Meineke Car Care Bowlで、ノースカロライナ大学を破り4年連続でボウルゲームに勝利、3年連続MVPに選ばれた。この年彼は274本中180本を成功、1844ヤードを投げて21タッチダウン、7インターセプト、ラン180回で974ヤードを走り8タッチダウンをあげた。 大学4年間で、パスでは6051ヤードを投げて56タッチダウン、ランでは4480ヤードを走り、47タッチダウンの数字を残した。またNCAA史上6位となる34勝をあげた。こうした活躍を見せたものの、彼はオールアメリカンには選ばれなかった。またカレッジフットボール殿堂の対象となっていない。 ドラフト前に彼はシニアボウルに招待されてMVPを獲得した。NFLネットワークのは彼のドラフト2巡目の指名を予想した。またESPNのは彼をこの年5番目に評価の高いQBとした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パット・ホワイト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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