翻訳と辞書
Words near each other
・ パッペル・シュターディオン
・ パッポン通り
・ パッラカネストロ・トレヴィーゾ
・ パッラカネストロ・ヴィルトゥス・ローマ
・ パッラゴリーオ
・ パッラス
・ パッラス大事典
・ パッランツェーノ
・ パッラヴァ
・ パッラヴァ文字
パッラヴァ朝
・ パッラヴォーロ・シリオ・ペルージャ
・ パッラヴォーロ・チッタ・ディ・カステッロ
・ パッラヴォーロ・パドヴァ
・ パッラヴォーロ・パルマ
・ パッラヴォーロ・ピアチェンツァ
・ パッラヴォーロ・モデナ
・ パッラーディオ
・ パッラーディオ建築
・ パッラーディオ様式


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

パッラヴァ朝 : ミニ英和和英辞書
パッラヴァ朝[ぱっらう゛ぁあさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラヴ : [らヴ]
 【名詞】 1. love 2. (n) love
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

パッラヴァ朝 : ウィキペディア日本語版
パッラヴァ朝[ぱっらう゛ぁあさ]

パッラヴァ朝(Pallava)は、3世紀後半から893年までカーンチープラムを首都として南インド東海岸(コロマンデル海岸)地方を支配したタミル系王朝である。
首都はカーンチープラム 〔重松「パッラヴァ朝」『南アジアを知る事典』、p.552〕。
== 歴史 ==

=== 王朝の起源 ===
王朝の起源については、パルティア説、北インド説、土着王朝説があるがいずれとも決定しがたい〔チョプラ『インド史』、p.82〕。王朝初期の歴史については、サータヴァーハナ朝衰退後に、3個のプラークリット語刻文やサンスクリット語刻文など16枚の銅板の銘文によって知られる。しかし、これらの刻文の内容は矛盾が多いため、正確な年代や世系、中心地については研究者の間で意見が一致しない。例えば4世紀初頭から6世紀初頭にいたる刻文がすべてアーンドラ地方に関係するものであるにもかかわらず、王の詔勅の発行地が「カーンチー」となっており、通常はトンダイナードゥ(別名トンダイマンダラム)地方の「カーンチー」と考えられるため、アーンドラ地方から遠く離れている。そのため、刻文の「カーンチー」は、アーンドラ地方の地名ではないかと考える研究者もいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パッラヴァ朝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.