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パデル(Padel)は、1980年代から競技者人口が増え始めたラケットスポーツである。スペインはじめポルトガルやイギリス、またアルゼンチン、メキシコ、ブラジル、カナダ、ウルグアイ、そしてチリなどの国々で、パデルがスポーツとして発展を遂げた。近年、アメリカ合衆国へ広まりつつある。また最近になり、日本にパデルコートが建設される。 パデルのプロツアーはWorld Padel Tour(ワールドパデルツアー)や Campeonato Mundial de Padel (パデル・ワールドカップ)などの大会が、国際的に重要なプロの大会とされている。 ==歴史== このスポーツは1970年代中頃にスペインのAlfonso de Hohenloheによって発明された。現在はスペインおよびラテンアメリカ諸国でもっとも一般的であるが、ヨーロッパや他の国々の間へも急速に普及しつつある。スペイン南部のコスタ・デル・ソルは多数のイギリス人が訪れる保養地であるが、ここでもパドルテニスは盛んに行われており、これがイギリスに普及するきっかけとなっている。 *スペイン国内の普及について 1980年代はじめ、パデルはスペインの大都市であるマドリッドやバルセロナのスポーツクラブから普及がはじまり、その後他のスペイン地域へと広がる。国内の各所でパデルコートが建設され、各地域の有名クラブが国内のトーナメントを主催するようになる。 *1987年、スペイン・パデル協会が設立される。 *1991年、パデル国際連盟が設立される。 *1997年、スペイン・パデル連盟が設立される。 スペイン国内のパデル人口は2010年に約200万人を記録し、2013年には300万人を超え、2015年には400万人を超すのではないかと予測されている。 歴史にその名を刻むテニスチャンピオンRafael Nadal(ラファエル・ナダル)やNovak Djokovic(ノバク・ジョコビッチ)らもパデルに魅せられた人たちである。 *ヨーロッパへ普及 1990年代終わりからパデルはヨーロッパ各国へと広まり、フランス、イタリア、ポルトガル、イギリス、ドイツ、ベルギー、スイスなどでそれぞれの連盟が設立される。 *アメリカへ普及 1975年、Alfonso de Hohenloheの大親友であり、足しげくマルベージャに通っていたアルゼンチンの富豪、Julio Menditenguiはパデルの成功を目の当たりにする。そして、これを自国に輸入することを決意する。その結果、パデルはあっという間にアルゼンチンで大ブレイクし、現在では国内で2番目にポピュラーなスポーツとして、200万人以上の競技人口が存在し、国内に造られた1万以上のコートでアルゼンチンの人々はパデルを楽しんでいる。そしてパデルはブラジル、ウルグアイ、メキシコ、チリ、パラグアイなどにも広がりを見せた。またこうしたブームは北米にも及び、今ではアメリカやカナダにも競技者人口が増えている。 *日本初のパデルコート パデルを日本へ上陸させようとSpainPadel Project=パデル普及計画が発足され、2013年に埼玉県所沢市の「所沢フットサルパーク」に日本初となるパデルコート2面が建設された。その後、日本国内のパデルコート普及は進み、2014年春関西初のパデルコートが大阪市に完成する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パデル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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