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パトリス・エヴラ(Patrice Latyr Evra, 1981年5月15日 - )は、セネガルのダカール出身、フランス人サッカー選手。ポジションは主に左サイドバック。左サイドであればミッドフィルダーでプレーすることもある。 == 経歴 == パリ・サンジェルマンFCのユース組織から選手生活を始める。イタリアのクラブを転々とした後、当時リーグ・ドゥに所属していたOGCニースに移籍。その昇格に貢献するなどしてフランスリーグ内での評価を高め、2001-2002シーズン終了後にはディディエ・デシャン監督率いるASモナコに移籍した。移籍した最初のシーズンから同じ左サイドを主戦場とするジェローム・ロタンとのコンビネーションで大車輪の活躍を見せ、2003-2004シーズンでのチャンピオンズリーグ準優勝の主力メンバーにも名を連ねた。 シーズン終了後は数々の移籍話にも拘わらず残留を選択したが、師と慕ったディディエ・デシャンの2005-06シーズン途中での辞任もきっかけになったのか冬の移籍市場で移籍を決断。2006年1月10日に推定移籍金550万ポンドでイングランドの名門、マンチェスター・ユナイテッドFCに移籍し、イングランドの地で新たな挑戦を始めることとなった。移籍後は同じ左SBのガブリエル・エインセとスタメン争いを演じた。エインセはレギュラー争いに敗れる形で2007年にレアル・マドリードに移籍。 ここまでの活躍が認められてフランス代表に選出され、2004年8月16日の対ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で初出場を飾る。 2006年11月29日のエヴァートンFC戦でオーバーラップからのプレミアリーグ初得点を記録。 ユナイテッドでの活躍が評価されUEFA EURO 2008のフランス代表のメンバーに選出。本大会中にエリック・アビダルからレギュラーを奪取した。2010 FIFAワールドカップではティエリ・アンリに代わりキャプテンを務めたが、後述の首脳陣との対立、練習のボイコットなどもありチームは1勝もできぬままグループリーグで敗退した。その後、主将として練習のボイコットを主導したとしてフランスサッカー連盟から5試合の出場停止処分が課され、エヴラはこれに抗議をしたが認められなかった〔エブラ、出場停止への異議認められず Goal.com 2010年9月10日〕。その後、2011年3月17日に代表に復帰した〔“ナイズナの反乱組”の復帰でフランスの“復興”が最終段階へ Livedoorスポーツ 2011年3月23日〕。 2014年7月21日に120万ポンドでユヴェントスへ移籍した〔Evra è bianconero Juventus.com 2014年7月21日〕。 チームはセリエA、コッパ・イタリアを制して2冠を達成し、チャンピオンズリーグでも決勝進出を果たすが、自身は終盤に負傷交代となり準優勝で敗退。これによりチャンピオンズリーグ決勝で敗れた回数が4回となり、個人としては単独最多を記録した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パトリス・エヴラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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