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パトリック・ダニエル・タンベイ(Patrick Daniel Tambay, 1949年6月25日 - )は、フランスの元レーシングドライバー。1977年・1980年のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップチャンピオン。 多くのカテゴリーで実績を残したが、F1での活躍は短命に終わった。 == プロフィール == 母国のレーシングスクール、「ラ・フィリエール」の出身。卒業時には当時の最高成績を残しており、将来を大いに期待されていた。 フォーミュラ・ルノーを経て、1974年よりヨーロッパF2に参戦。1975年のランキング2位が最高となり、チャンピオンは獲得できなかったが、活躍が認められ1977年中盤よりF1に参戦を開始。 初エントリーとなった第7戦フランスGPでは、サーティースから参戦するも、決勝に進出できず。翌第8戦イギリスGPからはエンサインより出走、下位チームながら3度の入賞を果たした。 前年の走りが認められ、翌1978年からはマクラーレンへ移籍。しかしチームは低迷期を迎えており、No.1ドライバーのジェームス・ハントともども苦戦を強いられ、思うような成績を挙げられなかった。翌1979年には更に低迷しノーポイントに終わり、1980年はF1シートを喪失することとなった。 1980年はアメリカで2度目のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップチャンピオンとなり、1981年にセオドールからF1復帰。開幕のアメリカ西GPで入賞を果たすものの、その後は下位チーム故に苦戦を強いられ、中盤にはリジェに移籍。しかし、移籍後は全戦リタイアに終わり、1982年開幕時には、再びシートを喪失することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パトリック・タンベイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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