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パトリック・ロワ(Patrick Roy, 1965年10月5日 - )は、カナダのプロ・アイスホッケー選手で、ポジションはゴーリーである。 NHL史上で最多試合出場、最多勝利数記録を更新、エクスパンション時代で最高のゴーリーと評価されることが多い。 == 経歴 == ケベック州ケベックシティ生まれのアイルランド系。 ロワは、モントリオール・カナディアンズからNHL人生をスタートさせ、ここで1984年から1995年までプレーした。その後2003年の引退まで、コロラド・アバランチで選手生活を送った。 スタンレー・カップ優勝経験、カナディアンズとアバランチで2度ずつ合計4度経験している(1986年、1993年、1996年、2001年)。また、これと並んでコーン・スマイス賞も、3度獲得している(1986年、1993年、2001年。なお、1996年はアバランチのキャプテンジョー・サキック (Joe Sakic) が獲得)。 ロワに関してよく知られた逸話(奇行)としては、青や赤のライン上をスケートで横切ることがないとか、試合毎に子供の名前をスティックに書くだとか、シャットアウトを決めた試合に使用したパックは、シーズン終了までロッカーにしまっておくなどがある。また、試合中にゴールポストに話しかけることでも知られている。 また、ロワの自負心の強さは有名である。かつてジェレミー・ローニック( Jeremy Roenick)が、パトリック・ロワから3点を取った後のインタビューで「この第3試合、パトリックはどこで何してたんだろうか知りたいもんだね。たぶん、・・・」と皮肉ると、ロワも負けじと「ジェレミーが何を言ったかよく聞こえなかったよ。だって、僕は耳をスタンレー・カップ優勝記念のリングで栓をしていたからね。」と応じた。 ロワは、シュートをセーブすると、グラブを頭上に持ち上げて、まるで自由の女神のようなポーズをとることがあった。2002年、西部カンファランス決勝の第6試合で、ロワは自身がパックをつかんでいると誤信し、このポーズをとっている間に、ブレンダン・シャナハン(Brendan Shanahan) に得点されたこともあった。 これらの出来事にもかかわらず、ロワの卓抜さは、数々の受賞歴が示している。1989年、1990年、1992年にはヴェジーナ賞(最優秀ゴーリー賞)、1987年、1988年、1989年(この3年は Brian Hayward と同時)、1992年、2002年にはウィリアム・M・ジェニングス賞(最少失点ゴーリー)をそれぞれ受賞している。 さらに、完封勝利数ではリーグ1位、平均失点率でも2度のリーグトップを記録している。オールスターでは、第1チームで3回、第2チームで2回、通算8回の出場を果している。 1990年6月9日、Michèle Piuze と結婚し3人の子供を儲けた。 2003年10月28日、コロラド・アバランチは、ロワの背番号33を永久欠番とした。 2006年にホッケーの殿堂入りを果たした。 2008年11月22日モントリオール・カナディアンズも33を永久欠番とした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パトリック・ロワ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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