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パナマ市( シウダ・デ・パナマ、)は、パナマ共和国の首都。国名と同一名称のため、各言語で「市」に該当する単語を付けて区別するのが通例となっており、パナマ共和国の公用語であるスペイン語でもそうされている。また、パナマシティとも呼ばれる。以下の解説では「パナマ市」とする。 太平洋に面しパナマ運河の入り口である。国の政治、経済、文化の中心だけではなく、中米有数の世界都市でもある。また、中米有数の金融センターとしても評価されており、世界各国の銀行が進出している〔パナマ~運河とともに発展を続ける国 - 外務省(2015年8月15日)〕。 また旧市街地はパナマ・ビエホとパナマ歴史地区として世界文化遺産に登録されており、多くの観光客を集めている。 == 歴史 == パナマ市は、1519年8月15日ににより建設されたことから始まる。昔も今もこの都市は、地峡を利用した国際貿易と金融業で繁栄している。かつては、南米ペルーへの探検と、黄金や銀をスペインへ運ぶための拠点であった。1671年1月28日には、1400人の海賊を率いてやってきたイギリス人のヘンリー・モーガンが都市を攻撃、黄金を略奪後、火を使い破壊した。このときの遺跡はパナマ・ビエホと呼ばれ、今日では国内有数の観光名所となっている。ヘンリー・モーガンによる破壊の後、1673年に町は全て約11km西南のに移転した。 1848年にカリフォルニアで金が発見され、地峡を渡りアメリカ西海岸へ行く人々が増加した。金の発見の前年、パナマ鉄道会社が設立されたが、1855年まで運行はなかった。1848年から1869年の間に、約375,000人が大西洋から太平洋へ、約225,000人が太平洋から大西洋へ、地峡を利用して渡った。この移動がパナマ市を再び繁栄へ導いた。 交通量の増大がパナマ運河建設へと向かわせ、フランス人技師フェルディナン・ド・レセップス主導で1880年1月1日に建設を開始したが、工事の技術的問題と資金調達の両面で難航し、1889年に計画を放棄した。しかし計画は頓挫したわけでなく、1902年、アメリカ合衆国が連邦議会でパナマ地峡に運河を建設することを決定した。1903年から工事を始め、3億ドル以上の資金を投入し、1914年8月15日に開通した。 パナマ運河の建設は、パナマ市のインフラ整備を促進した(例:市内全域への上水道付設)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パナマ市」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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