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パブロ・カザルス(Pablo Casals、カタルーニャ語:Pau Casals, 1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ演奏家、指揮者、作曲家。 カタルーニャ語によるフルネームはパウ・カルラス・サルバドー・カザルス・イ・ダフィリョー(Pau Carles Salvador Casals i Defilló)。 チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる〔『音楽がわかる世界地図』(ロコモーションパブリッシング ISBN 9784862120281)p.74〕。有名な功績として、それまで単なる練習曲と考えられていたヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介したことがあげられる。 早くから世界的名声を築き、ヨーロッパ、南北アメリカ、ロシアなどを演奏旅行して回った。指揮者フルトヴェングラーはチェロ奏者としてのカザルスへ次のような賛辞を残している。「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」。 カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。 == 略歴 == * 1876年、スペイン・カタルーニャ地方タラゴナ県アル・バンドレイに生まれる。カザルスの名パブロは、カタルーニャ語表記ではパウ。4歳でピアノを始め、6歳で「マズルカ」を作曲。9歳になると、ペダルに足が届くようになったことでオルガンを始める。11歳でチェロを弾き始める。 * 1888年、第1回バルセロナ万博の時、バルセロナに移り住む。 * 1888年から1893年まで、母の勧めでバルセロナ市立音楽院に入学し、チェロ、ピアノ、音楽理論、作曲などを学ぶ。チェロはホセ・ガルシアに、作曲は当時の音楽院長であったホセ・ロドレダに師事。入学から半年ぐらいして、町はずれのカフェ・トストで働くようになった。カザルスはまだ少年であったが、チェロの名手として評判になり、遠方からも客が聞きに来るようになった。 * 1890年、バルセロナの楽器店でバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会う。母の勧めでマドリッドに居を移す。スペイン王室の庇護を受けるようになる。 * 1896年、母とブリュッセル、パリと渡り歩いた後、20歳の時バルセロナの音楽学校で教え始める。以後はバルセロナを拠点に、パリやニューヨークにも住みながら、世界を演奏旅行した。 * 1899年、パリでデビュー。 * 1904年、バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏する。 * 1905年、アルフレッド・コルトー(ピアノ)、ジャック・ティボー(ヴァイオリン)との三重奏団(カザルス三重奏団)を結成。 * 1908年、コンセール・ラムルー管弦楽団の演奏会に指揮者兼ソリストとして登場。このときが指揮者活動の始まりとみられる。 * 1919年、第一次世界大戦の影響により、カタルーニャに戻る。 * 1931年、53歳、カタルーニャ自治政府誕生を祝う記念式典(ムンジュイック宮殿、現カタルーニャ美術館)には、自らのオーケストラと地元の合唱団とともに、ベートーベンの第九を指揮した。それまでどの選挙でも投票しなかったカザルスは、この時には自治政府首班フランセスク・マシア(1859-1933)に一票を投じた。 * 1939年、スペイン内戦のため、フランスへ亡命。スペインとの国境に近いプラード(プラド)に隠棲。 * 1945年、6月から演奏活動を再開。しかし、各国政府がフランコ政権を容認したことに抗議して11月から演奏活動を停止。 * 1950年、ヴァイオリン奏者アレクサンダー・シュナイダーの説得によってカザルスを音楽監督とするプラド音楽祭が開催される。 * 1955年、本拠地をプエルトリコに移す。プエルトリコは、カザルスの母及びカザルスの妻マルタの故郷である。 * 1960年、自作カンタータ『まぐさ桶』を初演。 * 1961年、弟子の平井丈一朗〔1957年から1961年にかけてカザルスに師事。カザルスはニューヨークでの会見で「平井こそは我が後継者となるだろう」と述べた。〕のために来日。東京交響楽団、京都市交響楽団を指揮。文京公会堂でスズキ・メソードで学ぶ児童400人の演奏を聴き「世界は音楽で救われるだろう」と述べる。〔『愛に生きる―才能は生まれつきではない』(講談社現代新書 ISBN 9784061154865)〕 * 1971年10月24日(国連の日)、ニューヨーク国連本部にて演奏会、国連平和賞が授与される。 * 1973年、心臓発作によりプエルトリコで死去。遺言によって、遺体は生地ベンドレイの墓地に埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パブロ・カザルス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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