翻訳と辞書
Words near each other
・ パラマス・パーク
・ パラマタ
・ パラマタ・スタジアム
・ パラマッタ
・ パラマッタの旧総督官邸
・ パラマリボ
・ パラマリボ地方
・ パラマリボ市街歴史地区
・ パラマーナンダ・ジャー
・ パラマーラ
パラマーラ朝
・ パラマールタ
・ パラミオシン
・ パラミクサ
・ パラミクソウイルス
・ パラミクソウイルス科
・ パラミス
・ パラミタミュージアム
・ パラミツ
・ パラミデュース


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

パラマーラ朝 : ミニ英和和英辞書
パラマーラ朝[ぱらまーらちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラマ : [らま]
 【名詞】 1. (1) (Dalai) Lama 2. (2) llama 3. (P), (n) (1) (Dalai) Lama/(2) llama
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

パラマーラ朝 : ウィキペディア日本語版
パラマーラ朝[ぱらまーらちょう]
パラマーラ朝(パラマーラちょう、英語:Paramāra dynasty)は、9世紀初頭から14世紀初頭にかけて、中西インドマールワーを支配したヒンドゥー王朝ラージプートの王朝でもある。首都はダール
==歴史==

===成立と独立===
マールワー地方は、デカン地方を支配していたラーシュトラクータ朝の王ゴーヴィンダ3世によって、9世紀初頭に獲得された領土であった〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.34〕。そのとき、ゴーヴィンダ3世はマールワーの統治を、パラマーラ族の族長ウペーンドラに任せたというのが、このパラマーラ朝の始まりであった〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.34〕。
とはいえ、北インドにはプラティーハーラ朝が存在し、デカンと北インドの間にあるこの地域をめぐり、ラーシュトラクータ朝とプラティーハーラ朝は幾度となく争った〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.34〕。パラマーラ朝もラーシュトラクータ朝の封臣(サーマンタ)として、不安定な支配を維持しながらも戦った〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.34〕。
10世紀後半、シーヤカ2世の時代、プラティーハーラ朝は徐々に衰退し、ラーシュトラクータ朝は南インドのチョーラ朝との争いに追われていた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.34〕。彼はプラティーハーラ朝のマールワー領を奪い、西方ではマヒー川以西までを獲得し、マールワーの全領域を版図とした〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.34〕。
一方、主家のラーシュトラクータ朝はその間もチョーラ朝との争いに忙殺されていたが、クリシュナ3世が死にコーッティガ・アモーガヴァルシャが即位すると、シーヤカ2世は反旗を翻した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.34〕。パラマーラ朝はラーシュトラクータ朝と交戦状態に入ったが、972年にはその首都マーニヤケータに迫るほどの勢いを見せた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.34〕〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.19〕。このことはカリヤーニのチャールキヤ朝の創始や者タイラ2世が立ち上がる契機をつくった。
これにより、タープティ川以北の領土を獲得し、ラーシュトラクータ朝から独立を達成した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、pp.34-35〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パラマーラ朝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.