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ダカール・ラリー(、ラリー・ダカール)とは、1978年にティエリー・サビーヌによって創始された、ラリーレイド競技大会の一種である。「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。 このラリー競技大会は、コース設定が徐々に変わってきたことでその名称も変化してきており、かつては 「 パリ-ダカール・ラリー(略称 パリダカ)」と呼ばれた。もともとフランス人が始めた大会であるため、大会の公式語はフランス語であり、フランス語では一般に「〔注:フランス語では、名詞を形容(修飾)する語句が名詞の後ろに置かれるのが基本であり、英語とは順番が異なる。〕 ラリー・ダカール」と呼び、さらに短縮して 「 ル・ダカール」と呼ぶこともある。日本語では英語風の語順で「ダカール・ラリー」と呼ぶことが多い。 == 概要 == 1979年から始まり毎年行われているラリーレイド大会であり、ラリーレイド大会の代表的なもののひとつである。 以前は、例年1月1日(前年の12月末に始まることもある)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインのバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリを回る周回コースに、2012年からはペルーを加えた3カ国を通るルートとなった。1981年より国際自動車連盟(FIA)と国際モーターサイクリズム連盟(FIM)の公認レースとなっている。 かつてのヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、途中ほとんど集落や救護施設のないサハラ砂漠を縦断する過酷な競技なため、出場者の5割以上がリタイアする大会も珍しくなく、時折死者や負傷者も出た。競技区間には、西サハラなど政治的に不安定な国が入っていることも「世界一過酷」と呼ばれる由縁であった。それ故、「全ての完走者が勝者である」という言葉が出場者全員の共通の認識となっており、最終日のレースは「ビクトリーラン」と呼ばれている。 同様にヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーがかつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っているだけに、植民地主義的だとする批判が根強く存在し、テロリストや強盗集団の標的にされる理由の一つであった。またアフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多かった。それらの事情から、後に開催地が南米に変更された。 冠スポンサーは2007年はポルトガルでロト(日本でいえば宝くじ)を販売するユーロミルホーが務めた。過去にはテレフンケン(:de:telefunken:ドイツの電機メーカー)、トタル(フランスの石油メーカー)、テレフォニカ(スペインの通信会社)などが務めている。日本企業ではパイオニアが1988年〜1991年に冠スポンサーを務めた。 舞台が南米大陸になってからは2009年はトタルや2010年と2011年はpersonal社が冠スポンサーを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダカール・ラリー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dakar Rally 」があります。 スポンサード リンク
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