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パリ地方音楽院 (ぱりちほうおんがくいん、 仏 Conservatoire à rayonnement régional de Paris)は、フランスにおける教育機関。フランスにある41校の地域圏立音楽院のひとつ。子供のための基礎訓練から専門課程まで幅広く音楽教育を行う。また、別敷地にて舞踊科、演劇科を有する。音楽科は1978年に設立され、1990年、パリ国立高等音楽・舞踊学校の二代目校舎跡地に再編された。欧州連合の指定する芸術高等教育機関として認定された高等教育機関でもある。略称はCRR de Paris (仏語での発音に基づくカナ転写は「セー・エル・エル・ド・パリ」)。 == 歴史 == サン・ラザール駅の裏手、ユーロップ広場の橋からは、クロード・モネが描いた事で有名な鉄道の路線が見える。1832年に出来たこの広場は、ユーロップ地区の中心に位置する。この地区にある通りには皆、ヨーロッパの大都市の名前が付けられており、広場西側のローマ通りには、弦楽器工房、弓工房をはじめとした楽器工房が立ち並んでいる。これらは、1911年に、パリ国立高等音楽・舞踊学校がマドリッド通り14番地に移転してきた時以降に生まれた町並みである。かつてイエズス会が使っていたこの建物への音楽院移転は、ガブリエル・フォーレが執り行った。立ち並ぶ弦楽器工房、弓工房、楽譜屋、管楽器の商店により、現在でもこの地区は、常に音楽で満ちている。 パリ国立高等音楽・舞踊学校が1990年にラ・ヴィレット公園に移転するにあたり、1978年に設置されていたパリ国立地方音楽院が、パリ市の働きかけにより、このマドリッド通り14番地へと移転、設置された。オルガニストでピアニストのジャック・タッデイが1987年から2005年まで院長を勤めた。 1994年4月から1996年9月にかけて、デュボスク&ランドフスキ建築事務所により、建物の外観を保持したまま、内装の大改装が行われた。ジャック・シラク夫人のベルナデット・ショルドン・ド・クルセル、作曲家で文化・コミュニケーション省、音楽・舞踊・演劇・芸能局 (DMDTS)参事官であったマルセル・ランドスキ立ち会いのもと、パリ市庁舎によって新校舎の落成式が執り行われた。 2005年、グザヴィエ・ドゥレットが院長に就任した。2006年10月12日付けの政令に基づき、2007年、パリ国立地方音楽院は、パリ地方音楽院となった。2008年より、パリ第3大学、パリ第4大学およびブローニュ=ビヤンクール地方音楽院との提携により、文化・コミュニケーション省より、芸術教育高等拠点科 (Pôle Supérieur d’Enseignement Artistique)の設置が認可され、同科においてフランス国立高等音楽院と同等の、学士(Licence)相当であるディプロム、国家演奏家高等資格 (DNSPM)および国家俳優高等資格 (DNSPC)の支給が可能となった。これにより、欧州評議会のボローニャ・プロセスに基づく芸術高等教育機関 (enseignement supérieur artistique)として認定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パリ地方音楽院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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