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パルナス製菓株式会社(パルナスせいか)は、かつて関西を中心に洋菓子製造・販売を行っていた食品メーカー。本社は大阪市北区で、後に大阪府豊中市上津島2丁目に移転。2000年に事業を停止し、2002年に企業清算して解散した。 == 概要 == 兵庫県加西市出身の古角(こかど)松夫(2004年死去)が1947年に神戸市で創業した〔石毛直道他『勝手に関西世界遺産』p127(朝日新聞社、2006年)〕。1952年に株式会社化。ロシア風ケーキや「クレーモフ」(ロシア風シュークリーム)などの菓子、及び「パルピロ」(ピロシキ)といったロシア風調理パンを製造・販売した。最盛期の従業員は500人あまり〔「パルナスかみしめて 関西の名物洋菓子会社廃業」(『朝日新聞』大阪本社版夕刊2002年7月6日付)〕で、関西地区に200店以上の直営店とチェーン店を展開した〔。 ロシア風菓子の製造販売を始めたのは、戦後の砂糖販売統制解除を受けて洋菓子店を開いた際に、ドイツ菓子やフランス菓子といった一般的な洋菓子店と異なる独自のカラーを打ちだそうとしたためで、開業にあたり、当時のソ連対外文化交流協会から菓子の資料を取り寄せるなどした〔「快食倶楽部-パルナス」(『朝日新聞』大阪本社版夕刊1996年6月6日付)〕。古角は晩年、新聞社の取材に対して、帝政ロシア時代の小説家レフ・トルストイの大河小説『戦争と平和』で描かれたような豪華な食文化の再現を考えていたと述べている〔。日ソ国交回復直後の1957年には訪ソしてモスクワのレストランや菓子工場を視察。帰国後「モスクワの味」を自社のキャッチコピーとしてPRに務め、広く知られるようになる〔。1970年には日本万国博覧会ソ連館のレストラン「レストラン・モスクワ」を受託運営し、その後大阪、神戸、東京で「レストラン・モスクワ」および「レストラン・パルナス」を営んだ。 洋菓子需要の落ち込みや同業他社との価格・販売競争激化で売上高の減少が続いたことから、黒字・無借金経営を維持しつつ1990年代末に事業の縮小・整理を進め、2000年に工場を閉鎖。2002年3月に企業清算を終了し解散した〔。事業整理に入る直前の1996年当時の直営店は、洋菓子店27店舗、「パルナスブッフェ」(喫茶店)7店舗であった〔。豊中市の本社工場は2001年に解体され〔主要工事 株式会社デグチコーポレーション〕、跡地は分譲宅地となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パルナス製菓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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