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パルマ・フットボール・クラブ : ミニ英和和英辞書
パルマ・フットボール・クラブ[らぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love

パルマ・フットボール・クラブ ( リダイレクト:SSDパルマ・カルチョ1913 ) : ウィキペディア日本語版
SSDパルマ・カルチョ1913[らぶ]

ソチェタ・スポルティーヴァ・ディレッタンティスティカ・パルマ・カルチョ1913 () は、イタリアエミリア=ロマーニャ州パルマをホームタウンとするサッカークラブである。2015-16シーズンはセリエD・ジローネDに所属。
ニックネームはクロチャーティ十字軍戦士)とジャッロブルー(黄色と青)。
== 歴史 ==
1913年7月27日、パルマ近郊に生まれた音楽家ジュゼッペ・ヴェルディの名を取り、ヴェルディ・フットボール・クラブ (''Verdi Football Club'') として誕生。1968年には、パルマAC (''Parma Associazione Calcio s.p.a.'') に改称。
1990年代に入って地元パルマの食品会社パルマラットカリスト・タンツィがオーナーになり、1990年、セリエA昇格を果たした。以後、名将ネヴィオ・スカラ時代 (1990-1996) を中心に何度もリーグの優勝争いに絡み、国内および国際タイトルを獲得するほどの強豪クラブに躍進、「ミラクル・パルマ」と呼ばれるようになる。
しかし2003年にパルマラットは破産、クラブは破産管財人の管理下に置かれることとなった。2004年にパルマFC (''Parma Football Club SpA'') に改称。
その後、2005年に前レアル・マドリード会長ロレンソ・サンスがクラブの買収を試みるも、資金不足が露呈し買収は不成立。その後は売却先にスイスの起業家であるガエターノ・バレンツァや、セリエC1のチームの一つカルペネドロのオーナーで鉄鋼業に携わるトンマーゾ・ギラルディなどの名前が挙がるが、交渉は難航。クラブは競売にかけられ、ようやく2007年1月24日にギラルディへ譲渡されることとなった。
2007-08シーズンは19位と低迷し、セリエBに降格。しかも最終節での敗戦によりパルマのセリエB降格が決定すると同時に、目の前でインテル・ミラノに優勝を決められた。
2008-09シーズンは、フランチェスコ・グイドリン監督の下で、1年でセリエAへの復帰を達成した。
2013-14シーズンに創立100周年を迎え、エンブレムに「100」を加えた。このシーズンでは最終節で6位に滑り込み、UEFAヨーロッパリーグへの出場権を獲得したが、所得税の納付遅延を理由にイタリアサッカー連盟はUEFAライセンスを認可せず、UEFAヨーロッパリーグは7位のトリノFCが繰り上がりで出場した。このためギラルディは決定を不服とし、会長職の辞任とクラブの売却を表明した。
2014年12月にロシアキプロス複合企業に買収されたが、財政難は解消されず、給料未払いを理由にアントニオ・カッサーノフェリペがパルマとの契約を解除したのをはじめ、2014-15シーズンの冬の移籍市場で6人の選手を放出した。2015年2月、クラブは再び売却され、ジャンピエトロ・マネンティが新会長となった〔。しかし財政難は更に深刻となり、2月22日に開催予定だったウディネーゼ・カルチョ戦の試合開催費用が払えないために延期になるという、降格を通り越してクラブ存続が危ぶまれる事態となる。そして3月19日についに破産を宣言。負債総額は2億1844万6754.61ユーロ(約281億円)。
一部では破産宣告決定以降の試合はすべて没収試合となり、相手チームに勝ち点3が与えられるとの報道があったが、その後も公式戦は開催された。
経営面でのサポートを請け負ったデメトリオ・アルベルティーニは、2015-16シーズンにセリエBへの降格〔セリエAにおいては、チームが経営破綻した場合、新たな受け皿企業が見つかっても、基本的にセリエAの次シーズンへの残留が認められていない。〕にとどまるようにするために、新たな受け皿となるスポンサーや選手の確保などの最善策を講じる考えを示していたが、6月22日午後2時の締め切り時刻までオファーがなく破産が決定した。
これに伴い所属している選手らは、全員リーグの規定により自由契約(移籍金発生なし)となることが決まり、「パルマFC」は消滅した。このようなケースは、2002年に経営破たんし、同様に4部降格となった「ACFフィオレンティーナ」(2002年の降格の際「フロレンティーナ・ヴィオラ」と一旦改め、その後管財人よりフィオレンティーナの名称を購入したためチーム名復帰。2004-05シーズンにセリエA復帰)となったケースと、2004年にやはり財政難を理由にセリエC1(3部)に降格したSSCナポリ(降格後一旦「ナポリ・サッカーチーム」と改めたのち、2005-06シーズンの3部優勝後2部復帰を果たした際、管財人よりチーム名を購入し、再び「SSCナポリ」に変更、2006-07シーズンに1部復帰)のケースがある。
2015年7月、ネヴィオ・スカラが代表者となってSSDパルマ・カルチョ1913 (''Società Sportiva Dilettantistica Parma Calcio 1913'') が創設され、セリエD(4部リーグ)へ所属することとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「SSDパルマ・カルチョ1913」の詳細全文を読む




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