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パレンケ (Palenque) は、メキシコに存在するマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。 ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部のチアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた〔『パレンケ 文化遺産 』 - 伊藤清忠 (国土交通省中部地方整備局)〕都市の遺構としての宮殿を中心とする、「マヤ遺跡の典型」といわれる〔『パレンケ 』 - 東海大学文学部アメリカ文明学科〕建物群を密林のなかに配置している。 == 発掘史 == 18世紀の半ば頃にスペイン人の手により発見に至り〔『NHK 世界遺産の旅 【古代都市パレンケと国立公園】 』 - NHK〕、その本格的な発掘調査が始まったのが1948年である〔。 その調査の最終局面にあたる1952年6月15日、メキシコの考古学者アルベルト・ルスが「碑文の神殿」の地下室に辿り着き、室内の壁面にはめ込まれていた巨大な石板を取り外したところ、鍾乳石の垂れ下がる広い洞窟のような部屋がその向こう側に確認された。そこには殉死者と目される数体の遺体に加え、肖像画やマヤ文字、また生命樹の図柄の浮彫が施された石の蓋、そしてその下に石棺が埋もれており、数多の装飾品を脇にした遺体が内部に発見された。翡翠の仮面をまとったこの遺体は、7世紀に在位したパカル王(偉大な太陽楯、8アハウの偉大なパカル、パカル2世、パカル大王、在位615年 - 683年)〔サイモン=マーティン,ニコライ=グルーベ/中村 誠一(監修),長谷川 悦夫,徳江 佐和子(他訳)『古代マヤ王歴代誌』創元社,2002年,pp.240-246,ISBN 4422215175〕として知られる王のそれであった。この発見は、中央アメリカのピラミッドがエジプトのそれとは違うという定説、すなわち王の墓ではなく神殿の土台に過ぎないものとの定説を覆し、当時の考古学界に大きな旋風を巻き起こすこととなった〔『世界遺産極める55』 P.88 - 世界遺産を旅する会 〔ISBN 4094171843〕〕。 1987年には「古代都市パレンケと国立公園」として世界遺産に登録された〔『Pre-Hispanic City and National Park of Palenque - UNESCO World Heritage Centre 』(英語) - ユネスコ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パレンケ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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