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『パンダの大冒険』(パンダのだいぼうけん 英文:''Panda's Adventures'')は、1973年3月17日封切の『東映まんがまつり』内で公開された、東映動画制作の劇場用アニメ映画である。フジカラー、ワイド、50分。 キャッチコピーは「攻めてくるぞ ひぐまの大軍 ボクはパンダ くまの国の強い戦士だ!!」。 ==概要== 1972年10月28日、日中友好親善使節として中国から2頭のジャイアントパンダ(以降「パンダ」と表記)「ランラン」と「カンカン」が上野動物園にやって来て、2頭は日本中の人気者となり、上野動物園は連日長蛇の列、おもちゃ屋ではパンダのぬいぐるみや人形が飛ぶ様に売れ、時ならぬパンダブームが起きた。アニメ界でもこの人気に便乗し、東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)とAプロダクション(現:シンエイ動画)が元東映動画のメンバーだった宮崎駿・大塚康生・小田部羊一・高畑勲をスタッフに起用して、『パンダコパンダ』という中篇作品を制作、1972年12月17日封切の『東宝チャンピオンまつり』内で公開した。 かつて1958年10月21日公開の劇場用第1作『白蛇伝』で、全くの無名だったパンダを登場させた経歴のある東映動画は、面子にかけても先にパンダアニメを発表したかったが、当時東映動画は登石社長の希望退職者募集に対するスタジオロックアウト中(1972年12月26日まで)で、TVアニメも全て下請&外注だったため、一番乗りは出来なかった。それでもパンダ来日後の1972年10月より、外注で本作の製作を開始、年が明けた1月からは製作を再開、ロックアウト終結後の本社でも製作がかなり行われ、初号試写が3月7日というギリギリの線だった。なお封切られた3月17日では、東宝でも『東宝チャンピオンまつり』内の作品として、『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』が上映、奇せずしてパンダアニメが激突するかたちとなった。 物語は、何故かクマの国に王子として生まれたパンダのロンロンが、人間社会に行って修行をし、クマの国の王位を狙うヒグマのデモンと戦うといった構成となっている。特にデモン一派との決戦シーンでは、サルのモン次郎が『木枯し紋次郎』の如く、口に銜えた楊枝をデモン配下のヒグマに発射したり(しかし鼻に入りクシャミして自分が襲われるというオチ)、ロンロンがデモンに蹴りをお見舞いする際、『仮面ライダー』の如く「パンダーキーック!!」と叫ぶなど、時代を反映した場面が存在、またスカンクが、ゾウのジャンボの鼻をカタパルトにして、放屁しながら飛行機の如く空を飛び、ヒグマに放屁攻撃をする(しかしジャンボとモン次郎にも屁が回ってダウンするオチ)という、飛行機マニアの芹川有吾らしい演出も見られる。 原画の一人には、動物キャラで定評の有る森康二が存在するが、森は本作をもって東映動画を退社した。 1973年5月18日にシンガポールで開催された「第19回アジア映画祭」で、本作が出展、「技術特別賞」を受賞した。 なお本作はその後、1979年7月21日封切の『'79国際児童年記念 東映まんがまつり』内でリバイバル上映されたが、一部都市での興行に止まり、全国公開には至らなかった(夏興行が「一部での公開」はこの時のみ)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パンダの大冒険」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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