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パン助 ( リダイレクト:パンパン ) : ウィキペディア日本語版 | パンパン[すけ]
パンパンとは、第二次世界大戦後の混乱期の日本で、主として在日米軍将兵を相手にした街頭の私娼(街娼)である。「パンパン・ガール」「パン助」「洋パン」ともいう〔三橋 (2004)〕。 == 概説 == 第二次世界大戦が終わってGHQ占領が始まった1945年9月には既に存在が確認されていたとされ、1946年には日本全国で7万から8万人、朝鮮戦争の激化した1952年には15万人近くがいたとされる。1956年の売春防止法施行後は激減したが、ベトナム戦争が激化した1960年代後半になっても米軍基地周辺には存在した。 第二次世界大戦によって疲弊した日本では、生きる為に止む無く、もしくは金銭を楽に得るために身体を売る女性が急増した。特に連合国軍(なかんずく米軍)相手の売春は、金・物資ともに乏しかった日本人同士を相手にするよりも儲かったとされる。また、日本各地で婦女子が米兵に犯される事件が発生した。なお「興味本位や封建的な時代と戦うために働いていた」という記録も連合国軍側にはある。占領軍は米兵に対する性病の感染防止などを理由にパンパン狩りを度々行った〔。見た目がパンパン風の女性は都立吉原病院へ強制収容されたうえ膣検査されたが、誤って連行された無関係な女性も少なくはない〔。1946年(昭和21年)11月には池袋で、MPと日本の警察が通行中の女性を無差別に逮捕して膣検査を行うという事件も発生し、人権蹂躙と非難されている(板橋事件)。 また当時は厚化粧の女性が少なかった為に、全く売春とは無関係の派手な身なりの女性を指してこう揶揄する事もあった。なお、『現代用語の基礎知識』1949年版では、一般にこの言葉が広まったのは戦後のことであるが、日本海軍内では戦中から使用されていたとしている〔神崎清 『売春』〕。なお時代を経て、後期には日本人を相手にする娼婦、従来は「闇の女」などと呼ばれていた層に対してもパンパンとの呼称が用いられることがあった〔。なお、特殊慰安施設協会(RAA)の廃止に伴い職を失った売春婦が街頭に立ちパンパンとなったと言う説があるが、実際にはRAA廃止前から街頭に立つ姿が見られていたという〔。ちなみに1952年、盛りそば一杯17円の時代に、ショートで1000円、オールナイトで3000 - 4000円といった料金設定であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パンパン」の詳細全文を読む
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