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パーシー・マッコイド : ミニ英和和英辞書
パーシー・マッコイド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

パーシー・マッコイド : ウィキペディア日本語版
パーシー・マッコイド[ちょうおん]
パーシー・マッコイド(Percy Macquoid、1852年1925年)は、イングランドの舞台美術家で、イングランド家具 (English furniture) の収集家鑑定家であり、おもに『''Country Life''』誌に寄稿し、イングランド家具の歴史について4冊の本を著した。この業績はこの主題についての最初の本格的な通史であり、今日も印刷出版され続けており、『''The Age of Oak''(オークの時代)』、『''The Age of Walnut''(ウォールナットの時代)』、『''The Age of Mahogany''(マホガニーの時代)』、『''The Age of Satinwood''(サテンウッドの時代)』の4冊でおおむね1800年ころまでの歴史が検討されている。これらの用語、特に前3者は、異なる時代とスタイルを指す標準的な用語となった。このようにマッコイドの見解や論評は一定の評価を得ているが、その歴史的研究の中身についてはしばしば疑問が呈されている。マッコイドはラルフ・エドワーズ (Ralph Edwards) とともに『''The Dictionary of English Furniture''(イングランド家具辞典)』(全2巻、1924年1927年)を著した。マッコイドの著作は、『''Country Life''』誌の発行元から出版された。
マッコイドは、イラストレーター水彩画家であった父トマス・ロバート・マッコイド(Thomas Robert Macquoid、1820年1912年)の息子として生まれ、若い頃にはイラストレーター〔マッコイドは、Edwin Austin AbbeyJoseph Nash とともに、Charles Reade の小説作品集に、イラストレーションを提供しており、例えば、1884年に出版された『''Good Stories''』や『''In Belgravia''』 (London: Chatto & Windus) などにイラストレーションが収められている。〕や舞台美術家として働いたが〔B.J. Simmons & Co. の依頼による衣装デザインの一部は、テキサス大学オースティン校に所蔵されている。〕、1883年には絵入り新聞『''The Graphic''』紙に掲載されたマッコイドのイラストレーションを見たフィンセント・ファン・ゴッホアントン・ファン・ラッパルト (Anthon van Rappard) に書き送った手紙の中で「この上なく素晴らしいエレガンスと、柔らかく繊細な感覚」と絶賛したという。舞台美術家としてのマッコイドは、演劇プロデューサーのハーバート・ビアボーム・トリー (Herbert Beerbohm Tree) に気に入られ、1906年に上演されたシェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』や、(スティーヴン・フィリップス (Stephen Phillips) 作品)『ネロ (Nero)』などの舞台美術を手がけた。1899年、マッコイドはキング・ストリート (King Street) のセント・ジェームズ劇場St. James's Theatre:後に1957年から1958年にかけて解体)が改装された際に、装飾を設計し、その施工は当時ロンドンでも代表的な装飾業者であったムッシュ・モラン社 (Messrs. Morant and Co.) が行なった。大収集家として知られたリーヴァーヒューム卿 (Lord Leverhulme) の依頼を受けたマッコイドは、リヴァプールポート・サンライトにあるレディ・リーヴァー美術館の「アダムの間 (Adam Room)」の装飾を設計した。施工はロンドンの装飾業者ホワイト・アロム (White, Allom) が行い、マッコイドの没年に竣工した。この設計に際して、マッコイドは、ロバート・アダムが設計した住宅建築から主だった要素を取り込んでおり、漆喰装飾と壁の色は、ウェスト・ヨークシャー州にあるヘアウッド・ハウス (Harewood House) の「音楽の間 (the Music Room)」から、暖炉の上の鏡はロンドンのセント・ジェームズ・スクエア (St. James's Square) 20番地のものを参照している。
1891年、マッコイドはテレサ・I・デントと結婚し、夫妻はロンドンのベイズウォーター (Bayswater) に、アーネスト・ジョージ (Ernest George) とハロルド・ピートウ (Harold Peto) の設計による、ザ・イエロー・ハウス (The Yellow House) という家を構えた。夏と秋には、マッコイド夫妻はホーヴ (Hove) の海を見下ろすフーヴ・リア (Hoove Lea) で過ごしていた。どちらの家にも、マッコイドが収集した17世紀から18世紀のイングランド家具が置かれ、「熱心かつ有能なスタッフ」 (Edwards 1974) が手入れをしていたという。マッコイドが収集した調度備品の大部分は、家具銀食器油絵陶器などであり、現在はマッコイド遺産 (the Macquoid Bequest) から提供されてイースト・サセックスブライトンプレストン・マナー (Preston Manor) の部屋を飾っている。マッコイドの妻テレサは、ブライトン博物館 (Brighton Museum) の委員会に加わっており、市当局が管理する博物館のひとつであるプレストン・マナーを大いに気に入っていた。
イギリスの美術雑誌『''Apollo''』1974年5月号に掲載された記事で、ラルフ・エドワーズはパーシー・マッコイドと協力した『''The Dictionary of English Furniture''』のことを回想している。
== 著書 ==

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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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