翻訳と辞書
Words near each other
・ パーヴェル・セレブリャーコフ
・ パーヴェル・ゼレノイ
・ パーヴェル・ダツュク
・ パーヴェル・チェスノコフ
・ パーヴェル・チェレンコフ
・ パーヴェル・デミドフ
・ パーヴェル・トレチャコフ
・ パーヴェル・トロフィーモヴィチ・モロゾフ
・ パーヴェル・ナヒーモフ
・ パーヴェル・ニコラエヴィチ・デミドフ
パーヴェル・バジョフ
・ パーヴェル・バジョーフ
・ パーヴェル・バトフ
・ パーヴェル・パプスト
・ パーヴェル・パレナゴ
・ パーヴェル・パヴロヴィチ・デミドフ
・ パーヴェル・フィローノフ
・ パーヴェル・フィーチン
・ パーヴェル・フロレンスキイ
・ パーヴェル・フロレンスキー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

パーヴェル・バジョフ : ミニ英和和英辞書
パーヴェル・バジョフ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

パーヴェル・バジョフ ( リダイレクト:パーヴェル・バジョーフ ) : ウィキペディア日本語版
パーヴェル・バジョーフ[ちょうおん]

パーヴェル・ペトローヴィチ・バジョーフラテン翻字例:''Pavel Petrovich Bazhov'', 1879年1月27日 - 1950年12月3日)はロシア小説家
教師、編集者を経て中年から創作を始めた。代表作は(孔雀石の小箱)。これはウラル地方民話を基にした童話の短編集で、ソ連時代の1939年に刊行された。バジョーフは、ロシア革命ロシア内戦を扱った本も数冊書いている。
ロシアの副首相を務めたこともある政治家、エゴール・ガイダルは彼の孫に当たる。'';ラテン翻字例:''Pavel Petrovich Bazhov'', 1879年1月27日 - 1950年12月3日)はロシア小説家
教師、編集者を経て中年から創作を始めた。代表作は(孔雀石の小箱)。これはウラル地方民話を基にした童話の短編集で、ソ連時代の1939年に刊行された。バジョーフは、ロシア革命ロシア内戦を扱った本も数冊書いている。
ロシアの副首相を務めたこともある政治家、エゴール・ガイダルは彼の孫に当たる。
== 経歴 ==
ウラル地方の都市スィセルチ(;革命家を多く産み出したことで有名)で生まれた。父のピョートル・バジョーフは溶接工の親方であった。一家は(当時の工場街ではありがちなことだが)生活費を得るために大きな苦労を払っていたが、帝政ロシアにおいては事実上なんらの政治的権利も持たなかった。1889年から93年の期間、エカテリンブルクの教区学校に通う。彼は多くの抗議活動に関わり、教師に不忠者のレッテルを貼られた。エカテリンブルクという都市はバジョーフに大きな感銘を与えた。彼は後年、ここに住むために戻っている。1899年、バジョーフはペルミの神学校をクラス3位の成績で卒業した(なおこの学校の著名な出身者にはアレクサンドル・ポポフドミトリー・マーミン=シビリャークらがいる)。その後トムスク神学大学への進学を夢見たが、入学は叶わなかった。
やむを得ず一時的に国語(ロシア語)教師になり、はじめエカテリンブルクで、その後カムィシロフ()で働く。1907年から14年にかけては司教区の女子大学でロシア語を教えた。この時期、彼は同校でヴァレンティナ・イヴァニツカヤという女子学生と出会い、結婚している。彼の詩の多くが、彼女への愛・彼女との幸福を歌ったものである。
第一次大戦の勃発時、バジョーフは2人の娘を持ち、またボリシェヴィキに加わっていた。1918年、彼は赤軍の志願兵となってウラルの最前線に配備された。1920年の秋、バジョーフはセミパラチンスクに移り、この地方の共産党の委員会のメンバーに選出された。彼はこの地方の職能組合の会議を指揮するよう命じられたが、しばしば自分の職分を超えて仕事に打ち込んだ。1923年から29年、彼はエカテリンブルクに住んで『農民新聞』の編集局で働いた。また、古びた工場での生活や1924年に至る内戦に関するエッセイを寄稿した。この時期に、最初の著作、1880・90年代のウラルでの生活を描いた (1924) を出版した。
ウラルの民間伝承をテーマに40編あまりの童話を書いたのもこの時期で、それらの作品は短編集 (1939) (孔雀石の小箱)にまとめられた。本書は好評でバジョーフの代表作となり、また彼にソビエト連邦国家賞をもたらした(1943年)。彼は後年、この本に新しい話を加筆している。1944年、英訳がニューヨークとロンドンで出版された。後年、セルゲイ・プロコフィエフは本書を基にバレエ石の花』を製作している。またソ連最初のカラー映画として有名な『石の花』(, 1946)も本書を原作とする。
ソ連において、バジョーフは1917年から20年の時期の活動を根拠に祭り上げられた側面がある。D・A・クーン(D. A. Kuhn)カザフ・ソビエト社会主義共和国建国60周年の報告でバジョーフのことを「革命と内戦の年代において、ライフル・犂・本を手に、高い国際感覚・快活さ・勇気・英雄的精神をもってカザフの生活圏を主張した人物」と評している。彼はそれらの活動によりレーニン勲章とソビエト連邦国家賞を授けられている。
第二次大戦中のバジョーフは、エカテリンブルクおよび疎開先で作家として働いた。戦後、彼の視力は劇的に低下したが編集の仕事はやめず、また民話の収集とその小説化も続けた。
1950年、モスクワで没。エカテリンブルクに埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パーヴェル・バジョーフ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pavel Bazhov 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.