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ヒ40船団(ヒ40せんだん)とは、太平洋戦争中の1944年2月に運航された、日本の護送船団の一つである。日本本土へ石油を輸送するためタンカーを中心に編成された重要船団だったが、アメリカ海軍潜水艦の攻撃で全てのタンカーを撃沈された。ヒ40船団の壊滅は日本海軍に衝撃を与え、日本が海上護衛戦術を大船団主義に転換するきっかけとなった。 == 背景 == 南方作戦で順調にオランダ領東インドなどの油田を占領した日本だったが、採掘した石油の日本本土への移送はあまり順調ではなかった。大型タンカーの多くが海軍の補給艦として徴用されてしまったことや、戦時標準船型タンカーの建造の遅れなどが要因だった。1943年度(昭和18年度)の日本の石油需要を充たすには約360万トンの輸入が必要と計算されていたが、輸入実績は1943年末の段階で185万トンにとどまっていた〔大井(2001)、204頁。〕。 日本は、1943年7月、シンガポール(当時の日本側呼称は昭南)と門司を結ぶ石油専用船団であるヒ船団を創設していた。ヒ40船団の呼称は、通算40番目のヒ船団(日本へ帰る復路の20番目)を意味する〔ヒ16船団など欠航便があるため、厳密な運航順には合致しない。〕。石油の戦略的価値から重要船団とみなされたヒ船団ではあったが、護衛の実態は1船団あたり海防艦か旧式駆逐艦1隻程度と脆弱であった。これは、長距離護衛が可能な護衛艦の絶対数の不足と、船団編成の待機時間短縮のため5隻程度の小規模な船団で小出しに運航していたことに起因した〔大井(2001)、206-207頁。〕。海上護衛総司令部などから、船団を集約・大型化して防御力を高めるべきだとの見解も出ていたが、他の部門からは船の運航効率向上のため船団を解いた自由航行を求める意見すら出ていた〔大井(2001)、182頁。〕。 日本にとって幸いなことに、アメリカ海軍の通商破壊による被害は、1943年末頃まで南方資源航路ではあまり生じていなかった。これはアメリカ海軍の潜水艦兵力不足や魚雷の不調などが理由だった。しかし、アメリカ海軍は1943年9月から日本のタンカーを潜水艦の重点攻撃目標に指定しており、次第に潜水艦戦力が充実してくると、1944年1月にはタンカー9隻(計75447総トン)撃沈というこれまでにない戦果を記録した〔〔大井(2001)、440-441頁。〕。2月3日にも、ヒ40船団に先立って日本へ向かったヒ30船団(タンカー2隻・貨物船2隻・海防艦1隻)が、アメリカ潜水艦の襲撃を受けてタンカー2隻を撃沈される大損害を出していた〔駒宮(1987)、130頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒ40船団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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