|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヒシナタリーは日本の元競走馬、元繁殖牝馬。アメリカ産まれの外国産馬である。(旧表記)4歳時に牝馬の身で古馬に果敢に挑戦を繰り返し、ヒシアマゾンの後継馬と呼ばれた。 馬名の由来は冠名「ヒシ」にフリオ・イグレシアスの代表曲「黒い瞳のナタリー」〔1996年11月23日日刊スポーツ〕。 == 競走馬時代 == 1995年の暮れの中京競馬でデビューし、翌1996年に3戦目で初勝利を挙げる。続いて若駒ステークスに出走すると紅一点ながら強い勝ちっぷりを見せる。そしてエルフィンステークス3着を挟んだフラワーカップで初重賞制覇。しかし続く忘れな草賞で単勝1.2倍の断然支持を受けながら2着に敗れてしまう。そして迎えたNHKマイルカップでは決め手を欠いて6着。巻き返しを図った白百合ステークスでも7着に敗れる。 しかし陣営は3歳牝馬でありながら宝塚記念に出走させる。人気は無かったものの4着と大健闘をした。その後小倉記念、ローズステークスと連勝。宝塚記念での4着がフロックではない事を証明した。こうして秋の秋華賞では同世代の優駿牝馬(オークス)優勝馬エアグルーヴを脅かす存在にまでクローズアップされるが、秋華賞へ向けての調整中に体調を崩してしまう。これが影響したのか、本番では2番人気に支持されたものの11着と惨敗。そしてエリザベス女王杯をパスし果敢にジャパンカップに出走。ここで世界の強豪を相手に7着とまたも健闘をした。そして暮れの阪神牝馬特別でこの年4つ目の重賞勝利を挙げる。 翌1997年はオーストラリアトロフィーから始動。前年の実績が買われて1番人気に推されるが、最下位の殿負け。競走中に故障していた事が発覚し、検査の結果で「屈腱断裂」が判明。競走能力喪失という結果となってしまった。しかし繁殖牝馬としての生活には影響が無いとの事でそのまま引退し、繁殖入りした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒシナタリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|