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イラン暦(イランれき、)は、イランを中心に中東の広い地域で使われている暦法の総称で、太陽暦。ペルシア暦、ペルシャ暦、イラン太陽暦とも呼ばれる。欧米では“anno Persico/anno Persarum”(英訳「Persian year」)を略してA.P.と表記する。 20世紀以降、イランとアフガニスタンで使われているものはグレゴリオ暦の算出法を採用し、西暦と日付が完全に対応するように改められたが、紀元を預言者ムハンマドのヒジュラの年(西暦622年)に置くため、ヒジュラ太陽暦(en)とも呼ばれる。また、アフガニスタンで公式に採用されたものはアフガン暦とも呼ばれる。 == 概要 == ペルシア(イラン)ではアケメネス朝時代までバビロニアから伝わった太陰太陽暦を用いていたが、その後、新たにエジプト由来の太陽暦が伝わった。 ペルシア暦は、サーサーン朝が国教としたゾロアスター教の宗教儀礼と密接な関係を持つ。春分の祭りノウルーズ(「新しい日」の意)と秋分の祭りメフラガーン(ミフラジャーンとも。本来は「ミスラ祭」の意)という二大祭礼を持ち、時代と暦法の種別によってそのどちらかが新年の最初の日となる。 イスラム化以降、ペルシアにはヒジュラ暦が導入されるが、ノウルーズの祭礼は純粋太陰暦であるヒジュラ暦によっては行えない農事暦上の春分の祝いとして存続した。 11世紀頃からは、ノウルーズを新年とし、ヒジュラを紀元とする太陽暦が再び作られるようになり、セルジューク朝期のウマル・ハイヤームらの天文学者によって改良が施されてきた。 1925年の改良では、グレゴリオ暦の算出法を採用し、西暦と日付が完全に対応するように改められた。この現行暦法では、1年の12ヶ月はそれぞれがセルジューク朝期につけられたペルシア語による名前を持ち、前半の6ヶ月が31日になっている。最後の月は例年は29日だが、定期的に回ってくる閏年には30日となる。新年は深夜の0時ではなく、太陽が春分点を通過する瞬間とされる。 イラン暦の閏年は、アケメネス朝の頃には120年に1回とされた。ウマル・ハイヤームの『ジャラーリー暦』ではこれを改め33年に8回とした。現在のイラン暦では128年に31回、うるう年が来るようになっている(グレゴリオ暦では400年に97回、閏年がくるようになっている)。 1975年にはモハンマド・レザー・パフラヴィー国王のもと、アケメネス朝のキュロス大王がメディアを滅ぼしてペルシア帝国を建国した年(紀元前550年)からの2500周年を祝うイラン建国2500年祭がとり行なわれ、イラン暦がヒジュラ暦に代わる国家の公式の暦に採用されるとともに、イラン暦の紀元がヒジュラ紀元からキュロスの建国の年を元年とするキュロス紀元に改められた。1979年にイラン革命が起こってパフラヴィー朝の王制が廃止されるとキュロス紀元から再びヒジュラ紀元に戻されたが、イラン暦はそのままイランの公式暦として使用されている。 また、アフガニスタンでもヒジュラ紀元のペルシア暦が公式の暦として採用されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イラン暦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Iranian calendars 」があります。 スポンサード リンク
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