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ヒズブッラー : ミニ英和和英辞書
ヒズブッラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヒズブッラー ( リダイレクト:ヒズボラ ) : ウィキペディア日本語版
ヒズボラ[ちょうおん]

ヒズボラ(, 翻字: )は、1982年に結成されたレバノンシーア派イスラム主義の政治組織、武装組織。日本の報道機関では「ヒズボラ」と表記される事が多いが、アラビア語の発音ではヒズブッラーヒズボッラー。アラビア語で「神の党」を意味する。イランシリアの政治支援を受け、その軍事部門はアラブ・イスラム世界の大半で抵抗運動の組織と見なされている。日本欧州連合、米国、オランダ〔Norman, Lawrence and Gordon Fairclough. "Pressure Mounts for EU to Put Hezbollah on Terror List." Wall Street Journal. 7 September 2012. 3 November 2012.〕〔Kreiger, Hilary Leila and Benjamin Weinthal. "US official urges EU to name Hezbollah 'terrorists.' Jerusalem Post. 26 October 2012. 3 November 2012.〕〔"Dutch FM urges EU to place Hezbollah on terror group list." JTA. 6 September 2012. 3 November 2012.〕〔Muriel Asseraf, Prospects for Adding Hezbollah to the EU Terrorist List, September 2007〕、バーレーン〔Spangler, Timothy (March 25, 2011). "Bahrain complains over Hezbollah comments on protests". Jerusalem Post. Retrieved November 22, 2011.〕〔"Bahrain arrests bombing suspects and blames Hezbollah". Reuters. November 6, 2012.〕、エジプト〔EGYPT: Cairo calls Hezbollah terrorist organization. LA Times, April 13, 2009〕、英国、豪州、カナダ、イスラエルは、ヒズボラの全体または一部をテロ組織に指定している〔Goldirova, Renata (September 17, 2008). "MEPs call on EU states to list Hezbollah as terrorist group". EUobserver. Retrieved August 6, 2009.〕〔 "Hezbollah, the Party of Terror. Why should be included in the EU terrorist list", Friends of Israel Initiative, October 5, 2012〕〔「EU、ヒズボラ軍事部門をテロ組織指定 シリア包囲網強める 」 日本経済新聞2013/7/22〕。
== 概要 ==
レバノン内戦へのイスラエル軍侵攻を受けて1982年に結成された。レバノンを中心に活動している急進的シーア派イスラーム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とする。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げている。
ヒズボラはレバノン内戦さなかの1982年、イスラエル軍によるレバノンでの軍事作戦への抵抗を契機に生まれた〔"Who are Hezbollah". BBC News. May 21, 2008. Retrieved August 15, 2008.〕。イスラエルの軍事作戦は南レバノンのテロ・グループによるテロ攻撃と、シュロモ・アルゴフ駐英国イスラエル大使への暗殺未遂事件に対する反撃として遂行された〔Cradle of Conflict: Iraq And the Birth of Modern U.S. Military Power. p. 5. Retrieved 31 May 2012.〕〔Ensalaco, Mark. Middle Eastern Terrorism: From Black September to September 11. p. 133. Retrieved 31 May 2012.〕〔Goodarzi, Jubin. Syria And Iran: Diplomatic Alliance And Power Politics in the Middle East. p. 61. Retrieved 31 May 2012.〕〔 Joffe, Lawrence (25 February 2003). "Obituary: Shlomo Argov". guardian.co.uk (London). Retrieved 3 June 2010.〕。ヒズボラ指導部は、イランのアヤトラ・ホメイニの薫陶を受け、その部隊はイラン革命防衛隊から訓練を受けて組織された〔Adam Shatz (April 29, 2004). "In Search of Hezbollah". The New York Review of Books. Retrieved August 14, 2006.〕。ヒズボラの1985年の宣言は4つの目的として、「イスラエル抹殺の準備段階としてイスラエルをレバノンから最終的に撤退させること」、「レバノンからあらゆる帝国主義勢力」を追放すること、キリスト教マロン派系の極右政党・民兵組織であるファランヘ党を「正義の支配」の下に置き、その犯罪行為を裁判にかけること、「完全な自由の下で、希望する統治体制」を選択する機会をレバノン国民に与えることを挙げる一方で、イスラム支配への傾倒を隠そうとはしなかった〔 Itamar Rabinovich. Israel in the Middle East. UPNE. Retrieved November 18, 2010.〕。ヒズボラ指導部はまたイスラエル国家を「シオニスト組織」と呼び、その破壊を求める数々の声明を出してきた〔 Itamar Rabinovich. Israel in the Middle East. UPNE. Retrieved November 18, 2010.〕。
イランシリアが組織を支援しているといわれており、特にイランは組織設立時の関与や武器供給などヒズボラと密接に結びつき、一部の活動はイランの指示によるものとされている 。スンナ派サウジアラビアヨルダンエジプトなどはヒズボラの行動を批判している。シリアは主として、後方補給拠点や訓練施設、要人の自宅などを提供しており、イランから空路で到着した物資や人員はダマスカス=ベイルート街道を陸路で通り、レバノン国境を経てヒズボラに供給されているといわれる。
1980年代以降国内外の欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を起こしており、1983年10月、ベイルートアメリカ海兵隊兵舎への自爆攻撃1984年9月のベイルートでのアメリカ大使館への自爆攻撃、1992年にはアルゼンチンのイスラエル大使館への攻撃を実行した。2000年にイスラエルがレバノンから撤退した後も、イスラエルへの攻撃を繰り返している。2006年7月にイスラエル軍部隊と交戦した際、投降した兵2名を捕虜にした。この結果、イスラエルのレバノン再侵攻を招き、全面衝突となったが、同年8月14日に停戦が成立し、現在に至っている。
一説には2006年侵攻劇はレバノンにおけるヒズボラの政治的地位確保のための行動とも言われる。レバノン国軍に勝る軍事力を持ち、レバノン政府から施設運営費を得ていくために必要だったとされるが、その動機などは追及されていない。なお、ヒズボラ自身は、2006年の対イスラエル戦について「歴史的勝利」、と主張している。
少数の民兵組織から始まったヒズボラは、レバノン議会に議席を有し、ラジオ・衛星テレビ局を持ち、社会開発計画を実施する組織へと発展を遂げた〔Deeb, Lara (July 31, 2006). "Hizballah: A Primer". Middle East Report. Retrieved May 31, 2011.〕。ヒズボラはレバノンのイスラム教シーア派住民からの強固な支持を受け、数十万人規模のデモを組織する能力を持つ〔"Huge Beirut protest backs Syria." BBC News. March 8, 2005. February 7, 2007.〕。ヒズボラは2006~2008年、他の政治勢力と協力し、当時のフアード・シニオラ首相の政府を相手取り抗議行動を開始した〔 Ghattas, Kim (December 1, 2006). "Political ferment in Lebanon". BBC News. Retrieved August 15, 2008.〕。ヒズボラによる通信ネットワークの保有をめぐるその後の論争は衝突に発展し、ヒズボラ率いる抵抗勢力はシニオラ首相に忠誠を誓う政党「未来運動」の民兵組織が支配する西ベイルートの複数の地域を制圧した。これらの地域はレバノン軍に引き渡された〔Stern, Yoav; Issacharoff, Avi (May 10, 2008). "Hezbollah fighters retreat from Beirut after 37 die in clashes". Haaretz. Archived from the original on May 12, 2008. Retrieved October 20, 2012.〕。2008年には挙国一致政府が成立し、ヒズボラを含む野党勢力は、全閣僚ポスト30のうちの11に対する影響力を確保し、事実上の拒否権を手にした〔 "Hezbollah (a.k.a. Hizbollah, Hizbu'llah)". Council on Foreign Relations. September 13, 2008. Retrieved September 15, 2008.〕。
ヒズボラはイランから軍事訓練、武器、財政支援を受け、シリアからは政治支援を受けている。2000年にイスラエル軍が南レバノンの駐留を終結させたことを受けてヒズボラの軍事力は顕著に増大した〔"UN: Hezbollah has increased military strength since 2006 war." Haaretz. October 25, 2007. May 25, 2011.〕〔Frykberg, Mel (August 29, 2008). "Mideast Powers, Proxies and Paymasters Bluster and Rearm". Middle East Times. Retrieved May 31, 2011. "And if there is one thing that ideologically and diametrically opposed Hezbollah and Israel agree on, it is Hezbollah's growing military strength."〕。
2008年6月、国連がイスラエル軍のレバノン領からの完全撤退を認定したにもかかわらず〔 "Security council endorses secretary-general's conclusion on Israeli withdrawal from Lebanon as of 16 June". United Nations Security Council. June 18, 2000. Retrieved September 29, 2006.〕、同年8月、レバノン新内閣はヒズボラが軍事組織として存続することを認め、ヒズボラが「占領地域を解放または奪還する」権利を保証する政治宣言を全会一致で了承した。1992年以来、ヒズボラはハサン・ナスラッラーが率いている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヒズボラ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hezbollah 」があります。




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