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ヒメヒコ制 : ミニ英和和英辞書
ヒメヒコ制[ひめひこせい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい]
  1. (n,n-suf,vs) system 2. organization 3. organisation 4. imperial command 5. laws 6. regulation 7. control 8. government 9. suppression 10. restraint 1 1. holding back 12. establishment 1

ヒメヒコ制 : ウィキペディア日本語版
ヒメヒコ制[ひめひこせい]

ヒメヒコ制とは、弥生時代後期から古墳時代前期(紀元前1世紀から紀元後4世紀)にかけて日本各地で成立した男女別集団の共立的統治形態をいう。農耕的女子集団の長を主にヒメ、軍事的男子集団の長を主にヒコといったことからヒメヒコ制と名づけられた〔ヒメヒコ制の概念は高群逸枝によって1938年に初めて唱えられた。高群は次のように言う「古代の祭治形式にあつては、神宣を体する姫の職と、それを受けて執行する彦の職が絶対に必要であるところから、姫彦二職を主長とする制度が生じたのである」。「姫彦統治制度にあつては、姫神が神事を、彦神が政事を分掌するが、この二神が一体となって即ちここに祭政一体の統治が行われる」。高群逸枝『母系制の研究』理論社、1955年(初版1938年)、69, 362ページ、参照 倉塚曄子『巫女の文化』(平凡社1979)〕。
==概説==
ヤマト王権が成立する前後の古代日本では祭祀的農耕従事的女性集団の長(ヒメやミコトベを称号とした)と軍事的戦闘従事的男子集団の長(ヒコ、タケル、ワケあるいはを称号とした)が共立的あるいは分業的に一定地域を統治していた。『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などの文献には宇佐地方豊国)にウサツヒコとウサツヒメ〔『日本書紀』神武天皇即位前記甲寅年条〕、阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ〔「日本書紀」景行天皇の条に阿蘇都媛と阿蘇都彦が見られる。「阿蘇十二社祭神」には新比咩と新彦、若比咩と若彦、比咩御子と彦御子と3対のヒメヒコが見られる。この地方にヒメヒコ制が何代か続いた事を推測させる。〕、加佐地方丹後国)にカサヒコとカサヒメ、伊賀国にイガツヒメとイガツヒコ〔「伊賀国風土記逸文」には伊賀国の名前は伊賀津姫に由来する事が述べられている。崇神天皇の皇女イガヒメは、イガツヒメとの関係が指摘されている。『先代旧事記』「天孫本紀」には、大伊賀津姫(吾娥津媛)は大伊賀津彦命の娘であることが伝えられている。『先代旧事記』「国造本紀」には伊賀国造に任ぜられた垂仁天皇の皇子竟知別命の曾孫イガツワケ(武伊賀津別命)が伝えられている。〕、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコとキツビメがいたことを伝えている。また『播磨国風土記』では各地でヒメ神とヒコ神が一対で統治したことを伝えている〔『播磨国風土記』には地方のヒメヒコ神として、餝磨郡伊勢野にイセツヒメとイセツヒコ、アマタラシヒコとアマタラシヒメ、餝磨郡英賀里にアガヒメとアガヒコ(英賀神社祭神)、印南郡含芸里にキビヒメとキビヒコ、讃容郡雲濃里にタマアシヒメとタマアシヒコ、揖保郡出水里にイワタツヒとトイワタツヒメ(祝田神社祭神)が見られる。〕。そのような女性・男性の首長はその地の神社の由来となっていることが多い。ヒメやヒコを神社名や祭神名にしている地域はかつてヒメヒコ制の統治があったことを物語っている。
古代社会や原住民社会、とりわけ恒常的戦闘状態の地域では男子集会所(メンズハウス)の展開と別居する女性(子供や老人を含む)集団の形成が見られる〔マックス・ウェーバー「支配の社会学」〕。古代日本における恒常的戦闘状態を示唆するものとして、高地性集落紀元前1世紀から紀元後3世紀にかけて北九州から北陸・東海に東進的に形成されていること、中国の文献が2世紀倭国大乱を伝えていること、日本の古文献がニギハヤヒの東征、神武天皇の東征、四道将軍の日本統一、ヤマトタケル蝦夷および熊襲の服従など長期にわたる征服戦争を伝えていることが上げられる。こうした社会状態がヒメヒコ制の成立および展開を推進したと考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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