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ヒュペルムネーストラー()、あるいはヒュペルメーストラー()は、ギリシア神話の女性である。長母音を省略してヒュペルムネストラ、ヒュペルメストラとも表記される。主に、 *ダナオスの娘 *テスティオスの娘 の2人が知られている。以下に説明する。 == ダナオスの娘 == このヒュペルムネーストラーは、アルゴスの王ダナオスの50人の娘たち(ダナイデス)の1人で、長女である。アイギュプトスの子リュンケウスとの間にアバースを生んだ〔アポロドーロス、2巻1・5、2・1。ヒュギーヌス、168、170、273。パウサニアス、10巻35・1。〕。 エジプト王ベーロスの双子の兄弟ダナオスとアイギュプトスは王権をめぐって争い、ダナオスはアイギュプトスの50人の息子たちを恐れてアルゴスに逃げ、その地で王となった。しかしアイギュプトスの息子たちはアルゴスにやって来て、和解を求め、ダナオスの50人の娘たちと結婚することを提案した。しかしダナオスはそれを信じなかったので同意はしたが、娘たちの結婚相手が決まると彼女たちに短剣を渡し、夫を殺すことを命じた。このため他の娘たちは初夜の晩に眠っている夫を殺してしまったが、ヒュペルムネーストラーだけは夫のリュンケウスが自分の処女を守ってくれたので〔アポロドーロス、2巻1・5。〕、自分の判断で〔ピンダロス『ネメア祝勝歌』第10歌6。〕、リュンケウスを助けた。このためヒュペルムネーストラーは投獄された〔。 オウィディウスによればヒュペルムネーストラーは眠るリュンケウスを何度も短剣で殺そうとしたが出来なかったので、夜が明ける前にリュンケウスを起こして逃がした。しかし翌朝ダナオスが死体を数えるさいにそのことが明らかとなり、市中を引き回されたすえに投獄された〔オウィディウス『名婦の書簡』14。〕。 その後ヒュペルムネーストラーはさらにダナオスによって訴えられたが裁判に勝利した〔パウサニアス、2巻21・1。〕。そこでダナオスもようやく2人の結婚を認めたという〔。 パウサニアスによると毎年アルゴスで行われた烽火祭はヒュペルムネーストラーとリュンケウスの物語に由来する。ヒュペルムネーストラーはリュンケウスを逃がしたとき互いの安全を烽火で知らせ合うことを約束した。そこでリュンケウスはリュルケイアまで逃げたときに烽火を上げ、またヒュペルムネーストラーも安全になるとアルゴスのアクロポリスのラーリサから烽火を上げて知らせ、これにちなんで烽火祭が始まったという〔パウサニアス、2巻25・4。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒュペルムネーストラー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hypermnestra 」があります。 スポンサード リンク
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