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ヒュー・デイリー(Hugh Ignatius Daily、1847年7月17日 - 没年不詳〈1923年以後〉)は、1880年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手。メリーランド州ボルチモア生まれ〔baseball-referenceの記載に基づく。Retrosheetはデイリーの家族が1848年にアメリカに移住しているという調査結果に基づいて、デイリーをアイルランド出身としている。〕。右投げ右打ち。ニックネームは"One Arm"。事故で片腕を失った投手だったが、メジャーリーグに6年間在籍し、1試合19奪三振やノーヒットノーランなどの記録を残している。 ==経歴== 生まれた時の名前は"Harry Criss"という。幼い時に拳銃の事故が元で左腕を切断、その後地元ボルチモアのプロ野球チームで投手を務めるようになった。メジャーリーグのバッファロー・バイソンズに入団したときは既に34歳だったが、周囲との口喧嘩が絶えなかったそうで、メジャーリーグ6年在籍の間に7チームを渡り歩いた。 1883年に45試合に登板し23勝19敗の成績を上げ、この年の9月にはノーヒットノーランを達成している。翌年1884年にユニオン・アソシエーションが創設されるとリーグを移籍し、シカゴ・ブラウンズで27勝27敗の成績を残した。また同年記録した奪三振数はユニオン・アソシエーション最多の483に及んだ。また同年7月7日の試合では、1試合9イニングで19奪三振という当時のメジャーリーグ記録を作っている〔現在非公式ではあるが、この試合でデイリーはもう1つ振り逃げを記録しており、奪三振数を20とする見解もある〕。 1885年にナショナルリーグに復帰するが、登板数はわずか11試合だった。1887年に当時アメリカン・アソシエーションに加盟していたクリーブランド・スパイダーズで16試合に登板したが、4勝12敗に終わり同年メジャーリーグから退いた。 引退後の経歴について詳しいことは判っていない。正確な没年も不明だが、野球史研究家 Richard Malatzky の調査によると1923年頃までボルチモアで生存していたとされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒュー・デイリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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