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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヒルベルト・ローマン(Gilberto Roman、男性、1961年11月29日 - 1990年6月27日)は、メキシコのプロボクサー。身長160cm。元WBC世界スーパーフライ級王者。同時期のWBA王者カオサイ・ギャラクシーの陰に隠れて地味な存在であるが、WBC王座を2度獲得、通算11度の防衛を成し遂げた名王者。オーソドックスの技巧派ボクサーであった。 == 来歴 == 1980年、メキシコ代表としてモスクワオリンピックボクシングフライ級に出場し、準々決勝で敗退した。 1981年8月29日、プロデビュー。7連続KOをマークし注目を浴びる。 1985年1月1日、元WBC世界フライ級王者アントニオ・アベラル()と対戦し、5回反則負け。3月30日に再戦を行い、7回TKO勝ち。 1986年3月30日、世界戦12連勝を果たしていたWBC世界スーパーフライ級王者渡辺二郎(/大阪帝拳)に挑戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。 1986年8月30日、WBA世界フライ級王座を返上して試合に臨んだサントス・ラシアル()と対戦し、1-1の判定ドローで3度目の防衛に成功。ラシアルの2階級制覇を阻止した。 1987年3月20日、元WBC世界フライ級王者フランク・セデニョ()と対戦し、3-0の大差判定勝ちで6度目の防衛に成功。セデニョの2階級制覇を阻止した。 1987年5月16日、7度目の防衛戦でサントス・ラシアルと再戦し、11回TKO負けで王座から陥落した。 1988年4月8日、ラシアルからWBC世界スーパーフライ級王座を奪取したシュガー・ベビー・ロハス()に挑戦し、3-0の判定勝ちで王座に返り咲いた。 1988年7月9日、川越市民体育館で挑戦者内田好之(/上福岡)と対戦。4回にダウンを奪われるも、5回に2度のダウンを奪いTKO勝ちで初防衛に成功した。この試合は埼玉県で行われた初めての世界タイトルマッチとなった。 1988年9月4日、名古屋市総合体育館で挑戦者畑中清詞(/松田)と対戦。1回にダウンを奪うもローブローで減点を受け、3回にもローブローで減点を受けたが、以降は優勢に試合を進め、3-0の判定勝ちで2度目の防衛に成功した。 1988年11月7日、シュガー・ベビー・ロハスと再戦し、3-0の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。 1989年9月12日、サントス・ラシアルとラバーマッチで対戦し、3-0の判定勝ちで5度目の防衛に成功した。 1989年11月7日、6度目の防衛戦でナナ・コナドゥ()と対戦し、0-3の大差判定負けで王座から陥落した。 1990年6月9日、コナドゥからWBC世界スーパーフライ級王座を奪取した文成吉()に挑戦し、8回終了時TKO負けで王座返り咲きならず。この試合が最後の試合となった。 1990年6月27日、自動車事故により死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒルベルト・ローマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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