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ヴィア・ドロローサ(ラテン語:Via Dolorosa(「苦難の道」の意))は、新約聖書の四つの福音書の記述やキリスト教の伝承などから想定されるイエス(キリスト)の最後の歩みのこと。いずれの福音書でも、イエスは十字架を背負って総督ピラトの官邸(プラエトリウム)から刑場のあるゴルゴダの丘までの道のりを歩いたとされている。共観福音書では途中でキレネのシモンがイエスに代わって十字架を背負ったと書かれているが、『ヨハネによる福音書』ではイエス自身が最後まで背負ったことになっている。ヴィア・ドロローサという名称は、その道中に味わったイエスの苦難を偲んで名付けられており、ヴィア・クルキス(via crucis/十字架の道)とも呼ばれている。 イエスの処刑からおよそ二千年後の現在の地理上では、ヴィア・ドロローサの始発点はエルサレム旧市街北東のイスラム教地区にあるライオン門付近、終着点は旧市街北西のキリスト教地区の聖墳墓教会内にあるイエスの墓に相当する。その間、始発点と終着点を含めた計十四箇所に留(りゅう)と呼ばれる中継点が設けられており、第9留までが旧市街の入り組んだ路地の途中に、残りの五つが聖墳墓教会の内にある。毎週金曜日の午後3時(サマータイムの期間は午後4時)になるとフランシスコ会の主催で大勢の聖地巡礼者、並びに観光旅行者が旧市街地の繁華街を練り歩くのだが、この信心業をヴィア・ドロローサ(十字架の道行き)と呼ぶこともある。なお、信心業としての十字架の道行きはエルサレムだけでなくキリスト教世界の各地で行われている。 ==イエスの受難とキリスト教による伝承== 新約聖書の四福音書によると、過越祭のさなかに捕らえられたイエスはサンヘドリンでの取調べの後、総督ピラトによって十字架刑の宣告を受け、ゴルゴダの丘の十字架上で息絶えるのだが、三日目の朝に復活する。 キリスト教の教義はイエスの死と復活の上に築かれており、いずれの福音書もイエスをメシア(救世主)と認めることから始まっている。第二神殿時代のユダヤ人は伝統的に、ユダヤ民族をローマ帝国のくびきから解放する来たるべき王、あるいは『ダニエル書』で預言された「人の子」のような神秘的な様相をまとった人物など、権威と栄光に満ち溢れた力強いメシアの到来を期待していた。 それゆえ、メシアの苦悶などユダヤ人には到底受け入れられるはずもなく、イエスは十字架上の死へと追いやられてしまった。イエスはその死によって弟子や信者たちを奈落の底へ叩き落したのだが、三日目の復活によって彼らを生まれ変わらせた。イエスに従って歩んだ者は、メシアの苦悶、さらには死をも認めることにより、イエスをメシアと告白する信仰を完成させたのである。つまり、神の独り子であったイエスの穢れなき死は、人類を原罪から清めるため自己犠牲であり、その英雄的行為を通じて神と人類の関係を回復させたと解釈した。イエスが自らを神に捧げるために十字架上の死へと向かって歩んだ道のりがヴィア・ドロローサである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィア・ドロローサ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Via Dolorosa 」があります。 スポンサード リンク
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