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ビオランテ・デ・バル : ミニ英和和英辞書
ビオランテ・デ・バル[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ビオランテ・デ・バル ( リダイレクト:ヨランド・ド・バル ) : ウィキペディア日本語版
ヨランド・ド・バル[らん]

ヨランド・ド・バルYolande de Bar, 1365年頃 - 1431年7月3日 バルセロナ)は、ロレーヌ地方のバル公爵家の公女で、アラゴンフアン1世の2番目の妻。スペイン語名はビオランテ・デ・バルViolante de Bar)。
バル公ロベール1世と、その妻でフランス王ジャン2世の娘であるマリーの間に第8子、次女として生まれた。1380年にアラゴン王ペドロ4世の長男ジローナ公フアンと結婚し、1387年に夫の王位継承に伴い王妃となった。
ヨランドは病気がちの夫のために頻繁に国務を代行し、またアラゴン宮廷にフランス文化を持ち込むなどした。王妃は特にプロヴァンス地方出身のトルバドゥールの才能を発掘することに熱心だった。1395年に夫と死別した後は、同名の娘ヨランダの養育に力を注いだ。
== 子女 ==
フアン1世との間に7人の子女をもうけたが、成育したのは娘1人だけである。
*ハイメ(1382年 - 1388年)
*ヨランダ(1384年 - 1442年) - 1400年、アンジュー公ルイ2世と結婚
*フェルナンド(1389年)
*アントニア(1391年 - 1392年)
*レオノール(1393年)
*ペドロ(1394年)
*フアナ(1396年)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨランド・ド・バル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Violant of Bar 」があります。




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