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ビクトリーテツニーはアメリカ合衆国産の競走馬。馬名の意味は英語で勝利を意味する「ビクトリー」と愛称の「テツニー」。第1回カペラステークスの勝ち馬である。 == 経歴 == 2004年にアメリカ合衆国ケンタッキー州にあるデルリッジファームで生まれた。その後キーンランドセプテンバーセールで森秀行が35万5000ドルで競り落とし日本に輸入された。 競走馬としてのデビューは2006年6月24日京都競馬場の新馬戦(ダート1200m)。このレースではエイシンイッテンの3着に敗れた、折り返しの2戦目で芝のレースに出走するも6着に沈む。3戦目から再びダートのレースに出走するようになり、直線先に抜け出したマイネルカンターレを差し切って初勝利を飾った。続くサラ系2歳500万下も半馬身差で快勝している。年が明けてバイオレットステークスは3着。その後、UAEダービーに招待され、ドバイではアルバスタキヤ、UAEダービーともAsiatic Boyに大差を付けられたとはいえ2着、5着と善戦した。 帰国後の6月の鷹取特別は15着に終わり、以後やや低迷が続く。11月にはサラ系3歳上1000万下、年が明け2008年の2月には橿原ステークスに優勝するものの、しばらくは条件クラスに留まった。しかし徐々に力をつけ、11月に渡月橋を勝ってオープン入りすると、第1回カペラステークスでは後方からレースを進め、スリーアベニューに1馬身3/4の差をつけ快勝した。勝ちタイムは1分08秒7で、これはダート1200mの日本レコードである。 明け5歳初戦は2009年2月1日の根岸ステークスだったが、6着に敗れた。続くフェブラリーステークスは12着だった。その後、4月8日の東京スプリントに出走したが、出遅れが響いて5着に終わった。休養を挟み、連覇がかかったカペラステークスに出走、後方から追い上げるも9着に敗れた。 明け6歳初戦は2010年1月10日のジャニュアリーステークス。後方からレースを進めるものの直線で伸び切れず9着に終わった。続く1月31日の根岸ステークスでは上がり最速の34秒9を出したものの、8着に終わった。そして2月27日の千葉ステークスでは後方からレースを進め、最後の直線で逃げるニシノコンサフォスをクビ差捕らえて一昨年のカペラステークス以来の勝利を飾った。続くコーラルステークスでは後方から追い上げるも届かず5着に終わった。中1週で挑んだ京葉ステークスでは最後方から追い上げるも8着に敗れた。続く欅ステークスでは最後方から追い込んでくるも届かず4着だった。休養を挟み、12月12日のカペラステークスでは11着に敗れた。 明け7歳初戦のジャニュアリーステークスでは最後方追走も直線で伸び切れず9着、続く根岸ステークスでも9着、フェブラリーステークスとコーラルステークスではともに10着、アハルテケステークスでは8着だった。休養を挟み、12月11日のカペラステークスでは10着に敗れた。 2013年4月よりホッカイドウ競馬の佐久間雅貴厩舎へ移籍したが、1戦したのみに終わり、競走馬登録を抹消された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビクトリーテツニー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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