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ビクトル・マルキン (Viktor Fyodorovich Markin、、1957年2月23日 - )は、ソビエト連邦ノボシビルスク州出身の陸上競技選手。1980年モスクワオリンピックの金メダリストである。 == 経歴 == マルキンは高校卒業後、19歳のときにノボシビルスクの製薬工場に就職する。ここから彼の陸上競技のキャリアがはじまった。彼はモスクワオリンピックまで全く無名の選手であった。 マルキンは、モスクワオリンピックが開催される1980年の4月に46.96秒の自己ベストを記録。7月には、45秒34まで記録を向上させ、オリンピック出場を果たす。そして、400mに出場したオリンピックでは、200mを通過したところで5位をキープ。第4コーナーを回って最後の直線に入ったところで、トップを走っていた東ドイツのフランク・シャファーから3m後方の位置をキープ。ここからマルキンは力強くシャファーを追い抜きトップに立つと、44.60秒のヨーロッパ新記録のタイムで金メダルを獲得。この記録はいまだにロシア記録として残っている。マルキンは4×400mRにも出場。アンカーを務め、東ドイツのアンカーのフォルカー・ベックと激しい競り合いの末、2つめの金メダルを獲得した。 モスクワオリンピックの後、薬学の勉強のためしばらく競技を中断していたが、1982年のヨーロッパ選手権で国際大会に再登場。この大会で、400mと4×400mRの2種目で銅メダルを獲得。翌年の第1回世界選手権にも出場し、4×400mRで金メダルを獲得。しかし、翌年のロサンゼルスオリンピックに、ソ連が出場ボイコットを決めたため、マルキンは引退を決意した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビクトル・マルキン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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