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ビゴー ( リダイレクト:ジョルジュ・ビゴー ) : ウィキペディア日本語版 | ジョルジュ・ビゴー[ちょうおん]
ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot, 1860年4月7日 - 1927年10月10日)は、フランス人の画家、漫画家。明治時代の日本で17年間にわたって活動をおこない、当時の世相を伝える多くの絵を残したことで知られる。 == 生涯 ==
=== 来日まで === 1860年にパリで生まれる。父は官吏、母はパリの名門出身の画家。母の影響を受けて幼い頃から絵を描き始める〔『ビゴーが見た日本人』p.13〕。4歳のとき妹が生まれ、8歳の時に父が亡くなる。1871年3月から5月にかけてのパリ・コミューンでは、その成立から崩壊にいたるまで、燃えさかるパリの街や戦闘・殺戮をスケッチしてまわっている〔清水勲「ジョルジュ・ビゴーの生涯」『ビゴーがみた世紀末ニッポン』(1996)p.118〕。
1872年にエコール・デ・ボザールに入学して絵を学ぶが、家計を助けるために1876年に退学して挿絵の仕事を始める。在学中はジャン=レオン・ジェロームや肖像画で知られるカロリュス・デュランの指導を受けた〔。退学後、サロンに出入りして、日本美術愛好家として知られたフェリックス・ビュオやアンリ・ゲラールから日本美術についての知識を得〔、挿絵の仕事で出会ったエミール・ゾラやエドモン・ド・ゴンクールなどからもジャポニスムを知るようになる〔「明治日本の目撃者 ビゴー」『朝日百科 日本の歴史10』p.50〕。1878年、フェリックス・レガメが旅行記『日本散策』を出版、同年のパリ万国博覧会では浮世絵と出会って興味を抱く。この頃銅版画の技法を学んだ。また1880年には美術研究家ルイ・ゴンスによる大著『日本美術』の挿絵を一部担当した。 1881年にはエミール・ゾラの小説「ナナ」の単行本向けに挿絵17枚を寄稿する(複数の挿絵画家の一人)。人気作品の挿絵を担当したように、フランスですでに一定の知名度を得ていたが、日本への思いは強く、渡航を決断する。当時陸軍大学校で教官を務めていた在日フランス人のプロスペール・フークの伝手を得て、この年の暮れにマルセイユ港を発ち〔、1882年(明治15年)の1月、21歳のときに来日した〔『ビゴーが見た日本人』p.14 - 15〕 。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョルジュ・ビゴー」の詳細全文を読む
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