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ビッグワンガム (Big-one Gum) は、1978年(昭和53年)よりカバヤ食品(本社・岡山県岡山市)が製造販売したプラスチックスケールモデルキット食玩のシリーズ。おまけのプラモデルの精巧さを追求して成功し、スケールモデル食玩の基礎となる概念で、一つの指針を示した。 ==概要== カバヤリーフ(現・カバヤ食品)時代のビッグリーグガムと ニューエフワンガム、2つのコンセプトとニューエフワンガムのおまけ(簡易プラ組立てキット)からの商品コンセプトを引き継ぎ、価格を倍の100円にしておまけを精巧なプラスチックスケールモデル組み立てキットとしてグレードアップを図ると同時に文字通りパッケージを大型化した。 ネーミングのBIG.1(ビッグワン)は、原点(カバヤリーフ時代)である主な野球関連食玩頭文字のBIG(ビッグ)等を踏まえ、王貞治選手(後述)の愛称であるビッグ1を合わせたことに由来する。 プラモデルの金型設計は初期の頃は駄玩(当時の主に駄菓子屋流通の玩具)の技師が担当し、後年はプラモデル等の技師〔ホビージャパンより。ニュービッグワンガムなど。〕が担当した。ニューエフワンガム同様、素材は主にポリエチレン系(塗装と接着が困難な素材)の軟質プラスチック〔透明パーツとメッキパーツはポリスチロール樹脂。1990年代以降はABS樹脂成型のシリーズ(一部を除き主に完成品主体のシリーズ。)も存在した。〕で、その特徴から接着剤を用いないはめ込み式で児童でも組み立てやすい〔当時のプラモデル(一部を除く)は必ず接着剤を必要とした。同時期にプラモデル対象年齢以下の児童向けに、はめ込み式のプラモデルも駄玩を始め各社で開発が試みられていた。〕手軽さがあり、児童の本格的なプラモデルへの登竜門的な役割を果たしたとも言われる。 板ガム1枚のおまけという扱いが相応しくないほどの精巧なプラモデルが入っており、当時から「玩具が本体、お菓子がおまけ」と言われ、後の高級食玩の祖〔それ以前より駄玩(主に駄菓子屋流通の玩具)で試みられている。〕となり、現在の玩具菓子市場の基盤を作った。この成功から各社でも同様のコンセプトの商品が試みられた〔当時のロッテ等の菓子メーカーやバンダイ等の玩具メーカー(駄玩を含む)の玩具菓子市場参入が相次いだ。〕。 プラモデルの種類は軍用民用、新旧問わず、陸海空を網羅しており、果ては拳銃までもがラインナップ(建造物は無い)された。ニューエフワンガム同様にシールが付属〔初期の頃は主に紙製シール、DX以降は主にフィルム状のシール。〕。パッケージ裏に記載されているカタログの番号と小窓から見える中身の番号を照合することで、買う前に中身が何であるか判るようになっていた。当時の児童には、滅多に買えない様な内容の精巧なプラモデルが100円で買えるとあって人気を博した。既存の商品に存在しない自衛隊の戦闘車両や鉄道の車両、コンセプトカーなどもラインナップされていたため高年齢のマニア層にも人気があった。 後にさらに進化したデラックス ビッグワンガム〔パーツの精度と成型等を改良した製品。初期のビッグワンガムのプラモデルは玩具的なオリジナルギミックも持合せていたがDXシリーズ以降は純粋にスケールモデルに特化した。一部にクリアーパーツとメッキパーツを使用。シールはフィルム状に改められた。〕(150円、後に200円)が発売され、低年齢向けのゼンマイギミックやライトギミック付のアクションビッグワンガム(完成品含む)も発売された。ビッグワンガムの派生としてボトムズガムやトランスフォーマーガムなどのキャラクター物にも進出した。 後年は、ニュー ビッグワンガムとして継続され、2000年以降の晩年はABS樹脂成型の一部塗装済み完成品に移行して国産車シリーズ〔一車種ごとに色違いが二種類(赤と銀、青と白など)発売された一部塗装済み完成品の国産車シリーズ。〕が発売された後、ビッグワンガムは休止した。 現在もプラスチックモデルにガムが付いた同様のコンセプトの商品はキャラクター物で継続されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビッグワンガム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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