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ビッグ・カントリー : ミニ英和和英辞書
ビッグ・カントリー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カントリー : [かんとりー]
 (n) country, (n) country
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ビッグ・カントリー : ウィキペディア日本語版
ビッグ・カントリー[ちょうおん]

ビッグ・カントリー(Big Country)は、スコットランドで結成されたロックバンド1980年代から1990年代に活躍し、現在も活動中。
バグパイプに似せた音色でケルト的な雰囲気を醸し出すギターサウンドや、男っぽい骨太の曲中に時折挿入される甘い女性コーラスなど個性的なサウンド作りが特徴。2000年にバンドは解散
2001年には中心メンバーであったスチュアート・アダムソン自殺したが、2007年にはアダムソン以外のオリジナルメンバー3人により再結成される。
なお、イギリス本国以外では「インナ・ビッグ・カントリー」のヒットがあまりに際立っており、いわゆる一発屋扱いされる場合もある〔http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20070926185134AA5L4D2〕。
==来歴==

*1981年、ザ・スキッズを脱退したスチュアート・アダムソン(ヴォーカル、ギター)と、古くからの友人ブルース・ワトソン(ギター)がピート、アランのウィシャート兄弟とともにランリグを結成。アリス・クーパーの前座などを務める。ウィシャート兄弟が脱退し、元オン・ジ・エアーのトニー・バトラー(ベース)と、マーク・ブレゼジッキー(ドラム)が加入、バンド名をビッグ・カントリーに決定。
*1982年クリス・トーマスをプロデューサーに迎えて、デビューシングル「ハーヴェスト・ホーム」をリリースしたが不発。そのため同じくトーマスのプロデュースで行っていたアルバムのレコーディングを中断し、プロデューサーをスティーヴ・リリーホワイトに代えてレコーディングを再開した。
*1983年スティーヴ・リリーホワイトのプロデュースによりセカンドシングル「フィールズ・オブ・ファイヤー」をリリース。全英10位を記録した。その後サードシングル「インナ・ビッグ・カントリー」をリリースした。この「インナ・ビッグ・カントリー」は全米17位、全英17位という好記録を残した。そして日本でも大ヒットし、当時柳ジョージがカバーしたほどだった。また、8月には1stアルバム『インナ・ビッグ・カントリー(The Crossing)』をリリースした。全米チャート18位、全英チャート3位にランクインされるなど早くも人気バンドになった。そして同年12月にはアルバム未収録のシングル「ワンダーランド」をリリース。
*1984年、2ndアルバム『スティールタウン~ビッグ・カントリーⅡ(Steeltown)』をリリース。初の全英1位を獲得し、大ヒットアルバムとなった。この年初来日公演を行った。
*1986年、ロビン・ミラーのプロデュースで3rdアルバム『ザ・シーア(The Seer)』をリリース。ケイト・ブッシュなどをゲストに迎えたこの作品は全英5位にランクイン。
*1988年、オーストリア人ピーター・ウルフをプロデューサーに迎えた4thアルバム『ピース・イン・アワー・タイム(Peace In Our Time)』をリリース。このアルバムはこれまでのアルバムとは異なり、アメリカのマーケットを強く意識した作品となっている。このアルバムから「キング・オブ・エモーション」という全英13位のヒットも生まれた。
*1990年、ドラマーのマーク・ブレゼジッキーが脱退。しかし、「セイヴ・ミー」、「ハート・オブ・ザ・ワールド」という2枚のシングルを出して健在ぶりをアピールした。また、初のベスト盤『スルー・ア・ビッグ・カントリー・グレイテスト・ヒッツ(Through A Big Country Greatest Hits)』もリリースし、全英2位にランクインされた。そして同年の9月には5thアルバム『ノー・プレイス・ライク・ホーム(No Place Like Home)』をリリース。前作のアメリカンサウンドと初期のケルト風サウンドをうまく融合させた作品となった。
*1993年、6thアルバム『バッファロー・スキナーズ』をリリース。アディショナルドラマーとしてサイモン・フィリップスが参加している。
*1995年、マーク・ブレゼジッキー復帰。7thアルバム『ホワイ・ザ・ロング・フェイス?』リリース。
*1999年、8thアルバム『ドライヴィング・トゥ・ダマスカス』リリース。しかしチャートでは苦戦し、アダムソンは失望する。同年暮れ、アダムソンは休息が必要だとして公の場から姿を消す。
*2000年、アダムソンも復帰してフェアウェル・ツアー敢行し、グループは解散。ブルース・ワトソンとマーク・ブレゼジッキーはカスバ・クラブに加入。トニー・バトラーはソロ活動に入る。
*2001年11月、アダムソンが再び失踪。2001年12月16日、ホノルルのベストウエスタンプラザ・ホテルの部屋で死体で首を吊った状態で発見された。司法解剖の結果は窒息死〔Star Bulletin.com - Stuart Adamson suicide 〕〔News.Scotsman.com 〕〔Nme.com - Big Country 〕〔遺体発見時、彼のアルコール血中濃度は0.279%あった〕。
アダムソン・メモリアル・コンサートは2002年1月にダンファームリンのカーネギー・ホールで開催された。5月にはバロウランドでトリビュート・コンサートが開催された。このコンサートにはビッグ・カントリーとザ・スキッズのメンバー、アダムソンの2人の子供、スティーブ・ハーレー、ランリグのメンバー、サイモン・タウンゼントミッジ・ユーロビル・ネルソンらが参加した。
*2007年、オリジナルメンバー3人で再結成。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビッグ・カントリー」の詳細全文を読む




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