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ビバリー・オダ(Beverley Joan "Bev" Oda、1944年7月27日 - )は、カナダの政治家。オンタリオ州サンダーベイ生まれの日系3世。スティーヴン・ハーパー内閣の国際協力大臣。日系カナダ人として初の閣僚である。ベブ・オダとも呼ばれる。 2004年に日系カナダ人として下院議員初当選を果たした。 2006年1月23日に行われたカナダ連邦下院総選挙において12年ぶりに政権奪還を果たした保守党の議員である。2月6日、同党のハーパー党首が首相に就任し、オダがカナダ遺産大臣兼女性地位担当大臣として閣僚に起用された。その後2007年10月、国際協力大臣に任命された。 ==経歴== 第二次大戦中、日系人として抑留されていた両親の間に、日系3世としてオンタリオ州サンダーベイで1944年に生まれる〔〕。その後、トロント大学を卒業する。 1973年にTVオンタリオに入社し、その後Citytv、グローバルTVなどで勤務する。1986年からオンタリオ映画委員会委員、1987年から1993年までカナダ・ラジオテレビ通信委員会(CRTC)理事。1995年から1999年はCTVテレビジョンネットワークの上級副社長。国務長官の政策顧問も兼任していた。 長年カナダ進歩保守党でボランティアをしていたこともあり、2004年のカナダ連邦総選挙で保守党から立候補し当選する。保守党ではカナダ文化遺産政策を担当した。2006年の総選挙で再選、保守党が政権を獲得しスティーヴン・ハーパー内閣が発足した際、カナダ遺産大臣兼女性地位担当大臣として入閣、日系カナダ人として初の閣僚となった。その後2007年10月、国際協力大臣に任命された。 2011年2月にカナダ国際開発庁(CIDA)の署名済み文書の改竄を指示したとされるスキャンダル が発覚、責任を問われた連邦議会での答弁で前言を翻すなどしたため、現職の閣僚としてカナダ史上初めて議会侮辱に問われた。ハーパー首相はオダ大臣を支持し続けたが、下院議長は保守党に対し議会侮辱を行なったとの判断を下した〔Speaker hits Tories with two more contempt rulings . ''Globe & Mail'', March 9, 2011. Retrieved 9 March 2011.〕〔Tories slapped by 2 rulings . ''CBC News'', March 9, 2011. Retrieved 9 March 2011.〕。7月3日、辞職を表明した。カナダ国際開発庁(CIDA)は1992年にもベトナム・ダイニン水力発電事業において反政府ゲリラFULROの活動地域であるのに世界銀行とともに事業支援を決定、1999年にゲリラ問題が発覚し(当該ゲリラは1996年に投降)、支援を中止し日本の国際協力機構(JICA)に肩代わりさせたなどの不祥事がある(この不祥事の際にはCIDAに「カナダの政府及び民主主義に反する罪」が適用されている)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビバリー・オダ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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