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ビフザード : ミニ英和和英辞書
ビフザード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ビフザード : ウィキペディア日本語版
ビフザード[ちょうおん]
ビフザード(、Kamal al-din Bihzad、1455年?〔阿部「ビフザード」『岩波イスラーム辞典』、813頁〕 - 1530年代)は、15世紀から16世紀にかけてイランで活躍した画家。イスラーム世界でもっとも有名な画家の一人〔、ミニアチュールの分野における権威の一人に数えられる〔上田「ビフザード」『アジア歴史事典』8巻、23頁〕。ティムール朝君主であるフサイン・バイカラは、ビフザードをマニ教の創始者である画家マニに次ぐ、「第二のマニ」と称賛した〔ヤマンラール水野「ビフザード」『中央ユーラシアを知る事典』、443頁〕。
== 生涯 ==
ビフザードの出生と死亡の記録、生涯については不明な点が多い〔アルマジャーニ「ビフザード」『世界伝記大事典 世界編』8巻、167-168頁〕。ティムール朝の中心都市ヘラートでビフザードは生まれ、幼少期に両親を亡くした。孤児となったビフザードは王室図書館館長を務めていた宮廷画家ミーラク・ナッカーシュに養育される。
ビフザードはピール・サイイド・アフマド・タブリーズィーら当時の著名な画家に師事した〔。図書館に集まる学者と芸術家の影響を受け、さらにヘラートの統治者であるフサイン・バイカラと詩人ミール・アリー・シール・ナヴァーイーの後援を得てビフザードは技術を高めていった〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、100頁〕。ビフザードはフサインから才能を認められ、ミーラクの継承者として宮廷画家、図書館館長に選出された〔。
ビフザードは生涯のほとんどの期間をヘラートで過ごし、結婚することは無かった〔。聖者アブドゥッラー・アンサリのハーンカー(宿坊)で簡素な生活を送り、日々を芸術活動に費やしていた〔。
ティムール朝がシャイバーニー朝によって滅ぼされ、ヘラートがシャイバーニー朝に占領された後もビフザードは町に留まり続ける。1510年にサファヴィー朝がヘラートを占領するとビフザードはサファヴィー朝の君主イスマーイール1世から保護を受け、1514年にヘラート総督である王子タフマースブの教師を務める。1522年にビフザードはサファヴィー朝の宮廷画家をまとめる宮廷工房長となり〔〔、1529年から工房をサファヴィー朝の首都タブリーズに移した〔。先にタブリーズで活躍していたトゥルクマーン派の画家スルターン・ムハンマドとともに、ビフザードは新しい絵画様式を生み出していく〔岡田、北原、鈴木『イランを知るための65章』、96頁〕。
1530年代にビフザードはタブリーズで没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビフザード」の詳細全文を読む




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