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ビヨン・ブレギー(Bjorn Bregy、男性、1974年9月30日 - )は、スイス出身の空手家、キックボクサー。マイクスジム所属。その巨漢から、「アルペン・タワー」の異名を持つ。「アンディ・フグの後継者」とも呼ばれる。バックボーンは空手。 == 来歴 == スイス出身のK-1ファイターアンディ・フグの戦いぶりに感動し、格闘技を始めた。遅咲きのファイターであり、郵便局員として働きながらプロとして地道に活動していたが、2006年を迎えるまで日の目を見る事ができなかった。 現在郵便局員は辞めており、格闘家一本である。1日7時間もの練習を毎日行っているという。 2003年5月30日、K-1 WORLD GP 2003 in Baselで行われたトーナメントの決勝でジェレル・ヴェネチアンと対戦。準決勝までの激闘で右脚にダメージを負っていたため、1Rに1回、2Rに2回、3Rに1回とダウンしてしまったが、3R終了まで戦い抜いた。大差の判定負けを喫し、準優勝に終わる。しかし、試合後のIOCのドーピング検査で、ヴェネチアンが陽性反応を示したために失格となり、失格勝ちと変更された(同年のGP開幕戦にはヴェネチアンが出場)。 2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAMでは全試合KOで優勝。同年9月30日のGP開幕戦では、王者セーム・シュルトと対戦。ジャブ気味の左ストレートで3回ダウンを奪われKO負け、病院送りにされた。 2007年8月11日、K-1 WORLD GP 2007 IN LAS VEGASでレイ・セフォーと対戦し、判定勝ち。 2008年2月9日、K-1 WORLD GP 2008 in BUDAPESTでポーラ・マタエレと対戦し、2RKO勝ち。 2008年4月26日、K-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAMの準々決勝でヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤを下すも、準決勝でエロール・ジマーマンとダウンを奪い合う接戦を繰り広げ、最後は左フックでKO負け。 2008年後半から2009年にかけては殆ど勝ち星が無かったが、2010年4月17日のIT'S SHOWTIMEにおけるウェンデル・ロチェ戦で久々の判定勝利を得た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビヨン・ブレギー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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