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ウィリアム・ウォルバート(, 1883年 - 1918年12月12日)は、アメリカ合衆国の映画監督、俳優、脚本家である〔William Wolbert, Internet Movie Database , 2010年5月17日閲覧。〕。ビリー・ウォルバート()とも呼ばれた〔。 == 人物・来歴 == 1883年、アメリカ合衆国のバージニア州ピーターズバーグに生まれる〔。 満30歳を迎える1913年(大正2年)、バルボア・アミューズメント・プロデューシング・カンパニー(バルボア・スタジオ)で監督した、のちの映画監督ヘンリー・キングが主演するサイレントの短篇コメディ ''You've Got to Pay'' が、記録に残る最初の映画界での仕事である〔。1914年(大正3年)には同社が製作した同じくヘンリー・キング主演、チャールズ・ダドレー監督の短篇劇映画 ''The Power of Print'' に出演している〔。同年、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、フィリップス・スモーリー=ロイス・ウェバー夫妻が監督・出演する短篇劇映画 ''The Spider and Her Web'' に出演する〔。同年、主演作「ウィリス・ウォラス」シリーズで女優ベス・メレディスとコンビを組み、メレディスの主演作「女探偵ベス」シリーズでも相手役を演じる〔。同年から翌1915年(大正4年)にかけては出演がつづき、監督としてのクレジットはみられない〔。 1916年(大正5年)にはヴァイタグラフ・カンパニー・オヴ・アメリカ(ヴァイタグラフ・スタジオ)に移籍、監督業を復活、メアリー・アンダーソン主演作を中心に短編コメディを量産する〔。 1918年(大正7年)前半にネル・シップマン主演の短篇映画4作を手がけた後、夏にユニヴァーサルに復帰、同社子会社のブルーバード映画で、モンロー・ソールズベリー主演の映画『悪魔バーチース』、『屍の輝き』(1919年公開)の2作を監督〔、同2作は日本でも公開されている〔『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.〕。同年12月12日、カリフォルニア州ロサンゼルス市で肺炎により死去した〔。満34-35歳没。当時、スペインかぜがハリウッドにも猛威を振るっていたが、死因との関連は不明〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリアム・ウォルバート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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