翻訳と辞書
Words near each other
・ ビリー・グラハム大会
・ ビリー・グラハム聖会
・ ビリー・グリーン・ブッシュ
・ ビリー・ケイ
・ ビリー・ケトケオポムポン
・ ビリー・ケネディ
・ ビリー・ケリー
・ ビリー・コックス
・ ビリー・コッチ
・ ビリー・コノリー
ビリー・コブハム
・ ビリー・コーエン
・ ビリー・コーガン
・ ビリー・ゴートの呪い
・ ビリー・サイアニス
・ ビリー・サウスワース
・ ビリー・サニョル
・ ビリー・ザ・キッド
・ ビリー・ザ・キッド (アルバム)
・ ビリー・ザ・キッド (コープランド)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ビリー・コブハム : ミニ英和和英辞書
ビリー・コブハム[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ビリー・コブハム : ウィキペディア日本語版
ビリー・コブハム[ちょうおん]

ビリー・コブハムBilly Cobham1944年5月16日-)は、パナマアメリカ人ドラマー。主にジャズ/フュージョンの分野で活動しており、マイルス・デイヴィスマハヴィシュヌ・オーケストラとの仕事で知られる。
なお、名字は「コバム」と読むのが正しい〔Definition of “Cobham” | Collins English Dictionary: 〕。
== 来歴 ==
パナマで生まれ、3歳の時に家族と共にアメリカ合衆国ニューヨーク州へと移住。幼少期からドラムに親しみ、7歳の頃には現在の奏法に疑問を感じて、オープンハンド奏法に切り替えたというエピソードを持つ〔『リズム&ドラム・マガジン』2006年12月号〕。1965年から3年間、アメリカ陸軍内のバンドでプレイした後、1968年ホレス・シルヴァーのバック・バンドに加入。同年にはジョージ・ベンソンのアルバムにも参加した。
1970年にはブレッカー・ブラザーズや、ジョン・アバークロンビーらと共に、DREAMSというグループに参加、2枚のアルバムをリリースした。また、アフロ・アメリカンのリズムを要求していたマイルス・デイヴィスに誘われて、『ビッチェズ・ブリュー』・セッションの「Feio」(後にCDに収録)や、ジョン・マクラフリンと参加した1970年のアルバム『ジャック・ジョンソン』で演奏を残している。他にもセッションマンとして1970年から、クリード・テイラーCTIレコードの作品の数々のレコーディングに関与した。
1971年から1973年にかけて、ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラのメンバーとして活動し、『火の鳥(Birds of Fire)』などのレコーディングに寄与。
1973年にはマクラフリンとカルロス・サンタナとのツアーとレコーディング作品『魂の兄弟(Love, Surrender & Devotion)』、また同年に、ヤン・ハマートミー・ボーリンリーランド・スカラーを従えて、初のリーダー・アルバム『スペクトラム』を制作・発表した。このアルバムは評判を呼び、ギタリストのトミー・ボーリンがディープ・パープルに加入するきっかけにもなった。
1974年から1976年にかけて、アバークロンビーやブルガリア出身のピアニスト、ミルチョ・レヴィエヴらとアトランティック・レコードからリーダー作品をリリースした。熱狂的な人気を誇ったニューヨーク在住のプエルトリカンによるサルサ・ミュージックのスーパー・グループ、ファニア・オールスターズに参加して、1974年のザイール公演や翌1975年シェイ・スタジアムでのコンサートにもドラマーとして名前を連ねた。これらは映像作品として『ソウル・パワー』、「Live At Yankee Stadium」などの記録があり、また1976年には、ジョージ・デュークジョン・スコフィールドアルフォンソ・ジョンソンらとライヴ・バンドBill Cobham/George Duke Bandを結成、こちらもモントルー・ジャズ・フェスティヴァルの映像、録音作品を残している。
この時期、プロデューサーとして、アイアート・モレイラの「Virgin Land」、マーク=アーモンドの「To the Heart」などのアルバム作品を手がけている。
1977年からはCBSと契約してリーダー作品をリリースし、1980年代には、バンド・メンバーとして、再びマハヴィヌシュ・オーケストラ、スタンリー・クラーク&ジョージ・デュークのClarke Duke Project、クリームのジャック・ブルースとの、Jack Bruce & Friendsや、アルフォンソ・ジョンソンとともにグレイトフル・デッドボブ・ウェアとの、Bobby & the Midnightsなどのグループに参加した。なお、1998年にはグレイトフル・デッドの曲を演奏するインスト・ジャムバンド、Jazz is Deadにも再びジョンソンとともにメンバーとして加わっている。
1980年代半ばにGRPレコードからソロ作品をした後に、1990年代以降、英国・ヨーロッパの若いミュージシャンとの作品を制作、ケニー・バロンロン・カーターからなるピアノ・トリオ、アート・オブ・スリーを披露した。
2000年代には"Drums & Voice"というプロジェクトを開始。
この40年で、スタンリー・タレンタインフレディー・ハバードガボール・ザボジェームス・ブラウンポール・ウィンター・コンソート、ピーター・ガブリエルらといった多様なミュージシャンの作品に参加してきた。現在はスイスに居を構え、リーダー作品制作を中心に活動している。
== 作品 ==

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビリー・コブハム」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.