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ビリー諸川(びりーもろかわ、本名:諸川秀樹〈もろかわひでき〉、1957年11月25日 - )は、日本の歌手、タレント、ライター、司会者。HARVEST MOONのボーカル、リズムギターである。血液型A型。 ==プロフィール== ===生い立ち=== 1957年11月25日正午東京都大田区にて諸川家の次男として誕生する。兄春樹とは5歳違い。父は私立小野学園の教頭、東京都立新宿高等学校の教師をしており、裕福な幼少期を過ごしていたが、7歳の時、父が死去。以後、母が女手一つで兄弟2人を育てる(兄は高校に入学して以降アルバイトで生活を助ける)。小学校3年生の時にはプロレスに興味を持ち、ジャイアント馬場の大ファンとなる。母の作ったおにぎりを持って、一人で田園コロシアムまでプロレス観戦に行っていた。その頃は、将来はプロレスラーになりたいと真剣に考えていた。 小学校5年生に兄の影響で野球を始め、兄の特訓も有りメキメキと頭角を現す。私立小野学園小学校卒業後、私立日本大学第三中学校に進学し、野球部に所属。読売巨人軍の長嶋茂雄に憧れていた為、長嶋と同じポジションであるサードを守っていた。三年生の時にはキャプテンを務めた。その後私立日本大学第三高等学校に進学をしたが、野球部の入団テスト時に肘を痛め、野球を断念した(今もその影響で右肘がまっすぐに伸びない)。 野球を断念し、目標を失いかけていた1972年の秋、たまたま好きな女優が出演するという理由から見たテレビの深夜映画でエルヴィス・プレスリーと遭遇する。1977年エルヴィス・プレスリー死去。アルバイトをし、予備校に通っていて目標が定まらない日々を送っていたある日、呆れて見兼ねた兄からビンタされ、毎年1000人も誕生する東大生と、100年に一人誕生するかしないかのプレスリーのような歌手、どちらに一度きりの人生を賭けるべきなのか、もう一度、その頭で良く考えてみろ〔1998年8月26日発行毎日新聞社「AMUSE」99頁引用。〕と問われたことにより目覚め、エルヴィス道を選ぶこととなった。エルヴィスを歌うために英語をマスターすることを最初の目標とし、お茶の水にあるアテネ・フランセという専門学校に進学し、英会話を学ぶ。後に初めて人前で歌うことになるのだが、そのきっかけを与えてくれたシャネルズというドゥーワップ・グループのバンドリーダーの吉田憲右と知り合う。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビリー諸川」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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