翻訳と辞書
Words near each other
・ ビルキルカラFC
・ ビルキル・ビャルナソン
・ ビルキース・マカーニー
・ ビルキース・マカーニー・ベーグム
・ ビルギッタ
・ ビルギッタ (スウェーデン王女)
・ ビルギッタ・トロツィヒ
・ ビルギッタ・ヨンスドッティル
・ ビルギット
・ ビルギット (小惑星)
ビルギット・ニルソン
・ ビルギット・ピリヨ
・ ビルギット・フィッシャー
・ ビルギット・プリンツ
・ ビルギット・ミニヒマイアー
・ ビルギット・ヴァイル
・ ビルギト・トゥム
・ ビルギル・アルマンソン
・ ビルク
・ ビルクリーニング


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ビルギット・ニルソン : ミニ英和和英辞書
ビルギット・ニルソン[びる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビル : [びる]
 【名詞】 1. (abbr) building 2. bill 3. (P), (n) (abbr) building/bill

ビルギット・ニルソン : ウィキペディア日本語版
ビルギット・ニルソン[びる]

ビルギット・ニルソンBirgit Nilsson, 1918年5月17日 - 2005年12月25日)はスウェーデンソプラノ歌手。ニルソンはマルメから100キロ北にあるで生まれ、本人の回想によれば歩き出す前から歌い始めていたという。彼女は教会の聖歌隊で歌った後、ストックホルムの王立音楽院で学んでいる。
1946年ストックホルムスウェーデン王立歌劇場において、ウェーバー歌劇魔弾の射手』のアガーテ役を歌ってプロ・デビューを飾り、その翌年には指揮者フリッツ・ブッシュの息子で演出家のハンス・ブッシュの抜擢を受けヴェルディの『マクベス』のマクベス夫人役を歌い大成功をおさめる。1951年にはイギリスグラインドボーン音楽祭に招かれ、モーツァルトの歌劇『イドメネオ』のエレットラを歌った事で国際的な知名度を獲得、1954年にはミュンヘンワーグナー楽劇ニーベルングの指環』のブリュンヒルデ役を初めて歌い、同年にはバイロイト音楽祭に初招聘され、『ローエングリン』のエルザ役を歌うなどワーグナー歌手としての地歩を固めて行く事になる。バイロイトには1970年まで出演を続ける一方、ウィーン国立歌劇場ミラノスカラ座ロンドンロイヤル・オペラ・ハウスなど世界の有名歌劇場に相次いで出演している。
1956年にはサンフランシスコ歌劇場でワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデを歌ってアメリカ・デビューを飾り、1959年にはやはりイゾルデを歌ってニューヨークメトロポリタン歌劇場にデビューし、その後もメトロポリタン歌劇場に多く来演している。彼女の圧倒的な声量を伴うドラマティックな歌声は特にワーグナーとの相性が良く、戦後最大のワーグナー・ソプラノとしてフラグスタートの後継に擬せられるようになっていく。
ニルソンとやはり戦後最大のヘルデン・テノールとして知られたヴォルフガング・ヴィントガッセンの組み合わせは、当時最高の呼び物として世界中に知られていたが、ニルソンはワーグナーばかりを歌っていたという訳でもなく、多くのドラマティック・ソプラノのレパートリーを手がけており、多くの録音も残されている。代表的な役を挙げるとレオノーレアイーダトゥーランドットトスカエレクトラそしてサロメなど枚挙に暇がない。
彼女はイギリスレコード会社デッカによって製作・発売された、ジョン・カルショーのプロデュース、ゲオルク・ショルティウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した『指環』でもブリュンヒルデを歌っている事に象徴されるように、彼女はステレオ録音が開発され、レコード会社が競ってレパートリーをステレオで再録音していた時期にワーグナー・ソプラノの代表格の地位にあった事で、直接彼女の実演に接した事のないリスナーにも大きな存在として君臨している。
1967年には大阪国際フェスティバル(バイロイト音楽祭の引越し公演)でピエール・ブーレーズらと初来日、ヴィントガッセンとのコンビで見事なイゾルデを演じている。その後1979年には読売日本交響楽団のソリストとして、1980年にはウィーン国立歌劇場に帯同して来日、この時はエレクトラを演じている。ニルソンは1984年に現役を引退し、2005年クリスマスに生地ヴァストラ・カルップスで87年の生涯を閉じた。
== ニルソンをめぐる逸話 ==
ニルソンの強靭な声、率直な人柄は多くのユーモラスな逸話を残した。
*お気に入りの役柄は何かと尋ねられて曰く「イゾルデとトゥーランドット。イゾルデは私を有名にしてくれ、トゥーランドットは金持ちにしてくれたわ」
*メトロポリタン歌劇場(メト)のマネージャー、ルドルフ・ビングは「ニルソンは仕事をし難い歌手ですか」と聞かれ、「とんでもない。彼女は機械みたいなものさ。カネをたっぷり突っ込めば、素晴らしい歌声が出てくる」
*一方、ニルソンは納税申告書類に記すべき扶養家族の有無を問われて「たった一人ね。『ルドルフ・ビング』」
*名テノールフランコ・コレッリとの組み合わせでの、メトでの『トゥーランドット』第2、第3幕での高音の競演もまた有名だった。ある夜、ニルソンは第2幕でコレッリより長く高音を保つことに成功、満場の喝采を集め、コレッリは憤慨した。
 *一説には、コレッリのカラフ王子は続く第3幕フィナーレの二重唱で、ニルソンのトゥーランドット姫に接吻するかわりに、彼女の耳に噛み付いたという。ニルソンは次回の公演を「狂犬病に感染したので」といってキャンセルした。
 *別バージョンの逸話。その後コレッリは第3幕のアリア「誰も寝てはならぬ」を素晴らしく歌い上げ、聴衆の支持を取り戻した。引き続く二重唱でトゥーランドット姫が「私の栄光の日々は終わった (La mia gloria è finita.) 」と歌い、カラフ王子が「いいや、それは今から始まるのだ (No! Essa incomincia!) 」と応じるべきところ、コレッリは「そう、これでもう終わりだ (Si! Essa finisce!) 」と歌ったという。
*ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮ばかりでなく演出も行う『トリスタンとイゾルデ』にニルソンも参加した。
 *ピアノ・リハーサルにやってきたニルソンの真珠のネックレスが切れ、真珠が四方に散乱してしまい、みんなで協力して拾い集めた。一段落してカラヤンが「君のメトの法外なギャラでしか買えない、素晴らしい真珠なんだろうねぇ」、ニルソン応えて曰く「いいえ、これはカラヤンさんに横取りされるので雀の涙ほどでしかない、このウィーンのギャラでも買える模造品よ」
 *そのカラヤン演出の舞台リハーサル。照明を落とし暗闇のような舞台だったので、ニルソンはヘッドランプ付きのヘルメットをかぶって登場した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビルギット・ニルソン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.