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ビルジニ・ラザノ(Virginie Razzano, 1983年5月12日 - )は、フランス・ディジョン出身の女子プロテニス選手。これまでにWTAツアーでシングルス2勝、ダブルス1勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス16位、ダブルス82位。 == 来歴 == ラザノは父親が警察官、母親は幼稚園教師という家庭に育った。ジュニア選手のトーナメントでは、1999年全豪オープンジュニア女子シングルス・ダブルス優勝、2000年全仏オープンジュニア女子シングルス優勝がある。2000年の全仏オープンでは、本戦でもマリー・ピエルスとの3回戦まで進出した。2001年全豪オープンでマルチナ・ヒンギスとの3回戦に進んだ後、2月の「パリ・インドア」大会ダブルスでイバ・マヨリ(クロアチア)と組んで初優勝を果たす。全仏オープンで2年連続の3回戦に進出したラザノは、第14シードのジュスティーヌ・エナンに 3-6, 4-6 で敗れた。この年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのフランス代表選手に選ばれ、2002年と2004年以外はフェド杯の試合に起用されてきた。 その後の3年間、ラザノは大規模な大会での好成績が少なかったが、2004年のウィンブルドンで予選3試合を勝ち抜いた後、初めての本戦3回戦に進出した。本戦1回戦で第8シードのスベトラーナ・クズネツォワを 7-6, 3-6, 6-4 で破る番狂わせを演じた後、3回戦でリタ・グランデ(イタリア)に敗れた。2年後の2006年全米オープンで、ラザノは初めての4大大会4回戦進出を決めた。この大会では、2回戦で当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスを 6-2, 6-4 で破る勝利を挙げ、3回戦でもエストニアのカイア・カネピに勝ち、7度目の挑戦で初めて4大大会3回戦の壁を破った。初進出の4回戦ではディナラ・サフィナに 0-6, 5-7 で敗退している。 ビルジニ・ラザノの2007年度の4大大会成績は、全豪オープンと全米オープンの2回戦止まりであったが、9月末に中国・広州市で行われた大会でついに女子ツアー大会シングルス初優勝を達成した。彼女にとっては、プロ入り8年目の遅い快挙であった。翌週のジャパン・オープンで来日したビルジニ・ラザノは、決勝で第1シードのビーナス・ウィリアムズを 4-6, 7-6, 6-4 の逆転で破り、2週連続優勝を果たした。 2008年、彼女は北京五輪でオリンピックのフランス代表選手に選ばれた。初出場のオリンピックでは、シングルスは2回戦でエストニア代表のカイア・カネピに敗れ、アリーゼ・コルネと組んだダブルスは1回戦敗退に終わった。 2009年の全仏オープンにおいて、ラザノは地元開催の4大大会で初の4回戦進出を決める。地元フランス人の女子シード選手だったアメリ・モレスモ、マリオン・バルトリ、アリーゼ・コルネが次々と早期敗退してゆく中で、ラザノとアラバン・レザイの2人が4回戦まで勝ち残った。ラザノは4回戦でサマンサ・ストーサー(オーストラリア)に 1-6, 2-6 で完敗したが、この大会で2006年全米オープン以来のベスト16入りを果たした。それからウィンブルドンでも4回戦に進み、フランチェスカ・スキアボーネ(イタリア)に 2-6, 6-7 で敗れた。9月に自己最高の世界ランキング16位を記録している。 2011年5月16日にラザノの元コーチで婚約者のステファン・ヴィダルが、脳腫瘍のため32歳の若さで死去した〔Fiance's death won't deter Razzano 〕。直後の全仏オープンには悲しみを堪えて出場したが、1回戦でヤルミラ・ガイドソバ(オーストラリア)に 3-6, 1-6 で敗退した。 2012年全仏オープンでは1回戦でセリーナ・ウィリアムズを 4-6, 7-6, 6-3 で破る殊勲を挙げた。セリーナが4大大会の1回戦で敗退したのは初めてであった。2回戦でアランツァ・ルスに 3-6, 6-7 で敗退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビルジニ・ラザノ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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