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ビルマ共産党(ビルマきょうさんとう、Communist Party of Burma、CPB、緬共)は、ビルマ最古の政党。最盛期には兵力1万人を擁し、40年に亘ってビルマ政府と抗争したが、1989年に勢力下の少数民族の反乱によって指導部は放逐された。しかし、40年に亘って独立状態を保った統治機構は、そのまま少数民族の地方政権に引き継がれ、現在に至っている。 == 結成からビルマ独立まで == 1939年8月15日に、英領インド帝国内で台頭した共産主義運動の影響を受けて、アウンサンを総書記としタキン・タントゥン、タキン・ソーをはじめとする6人のメンバーによって結成された〔初期の党員はラングーン港のインド人港湾労働者が中心であり、インドとの関係が濃密な政党だったが、急速にビルマ人の間にも浸透した。〕。 1940年に、CPBは独立運動組織リーダーでCPBの非公然メンバーだったアウンサンを中国に潜入させて、軍事的支援を得るために中国共産党との連絡を図った。 しかし、ラングーン市内で歯科医を開業して情報収集に当たっていた、日本海軍の国分正三予備役大尉配下の諜報員としてグループ内に潜入していたネ・ウィンが、この情報を日本海軍にもたらし、アウンサンは潜伏していた福建省アモイで日本海軍特務機関員に発見され、日本に連行された。 アウンサンの身柄を確保した日本軍は、ラングーンから昆明に至る援蒋ビルマルート切断のためにビルマ独立運動の利用価値を検討し、アウンサンの希望していた軍事的支援を与える事を見返りに、日本軍のビルマ侵攻への協力を取り付け、アウンサンはビルマへ戻り、CPBの公然・非公然メンバーを中心とする30人の同志を密航させ、海南島の海軍特務機関施設での軍事訓練に参加させた。 1941年12月になって、日本軍は南機関の監督の下でアウンサン達をタイへ移動させ、亡命ビルマ人200名を加えて、ビルマ独立軍(BIA)を結成させた。 1942年1月に日本軍はビルマ本土への侵攻を開始し、英印軍は敗退し日本がビルマを占領し、1943年8月にビルマはバー・モウを首班として独立し、アウンサンは国防大臣に就任した〔ビルマ独立は名目的なものに過ぎず、ビルマ人は日本兵を“チビスケ”との蔑称で呼び、アウンサン自身も1943年11月にイギリス軍に「寝返りを考えている」と信書を送り、1944年8月1日の独立一周年の演説で『ビルマの独立はまやかしだ』と発言するなど、日本軍とビルマ人の関係は急速に悪化して行った。〕。 1944年8月には、CPB・アウンサンを始めとするビルマ国軍の非公然CPBメンバー・人民革命党などが参加して抗日運動の秘密組織である反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)が結成され、1945年3月に日本軍への蜂起を開始し、6月15日に対日戦勝利を宣言した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビルマ共産党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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