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ビル・マドロック : ミニ英和和英辞書
ビル・マドロック[びる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビル : [びる]
 【名詞】 1. (abbr) building 2. bill 3. (P), (n) (abbr) building/bill
ロック : [ろっく]
  1. (n,vs) (1) lock 2. (2) rock 3. (P), (n,vs) (1) lock/(2) rock

ビル・マドロック : ウィキペディア日本語版
ビル・マドロック[びる]

ビル・マドロックBill Madlock, Jr. , 1951年1月2日 - )は、アメリカ合衆国テネシー州出身の元プロ野球選手内野手)。にロッテオリオンズに所属し、主に指名打者として出場した。
== 来歴・人物 ==

=== メジャーリーグ時代 ===
メジャー時代は闘志溢れるプレーで、ファミリーネームに引っ掛けて"Mad Dog"(狂犬)の異名を取った。
6月のMLBドラフトセントルイス・カージナルスから11巡目(全体の258番目)で指名されたが契約せず、1月のMLB二次ドラフトでワシントン・セネタースから5巡目(全体の97番目)で指名され契約。
メジャーデビューはチームがテキサスに移転し「レンジャーズ」となった後のであった。
シーズン終盤21試合に出場して打率.351を記録したが、シーズン終了後にファーガソン・ジェンキンスとの交換トレードで、他の1選手とともにシカゴ・カブスに移籍。
には打率.354を記録して、自身初のナショナルリーグ首位打者となる。同年、MLBオールスターゲームにも初出場を果たし、ジョン・マトラックとともにその試合MVPに選ばれた。
翌にも、シーズン最終戦で4安打を放ちケン・グリフィー・シニアを抜いて2年連続首位打者(打率.339)に輝くが、シーズン終了後にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。
ジャイアンツでは(打率.302)・(打率.309)と、いずれも当時のマドロックにしては低打率に終わり、シーズン途中にピッツバーグ・パイレーツに移籍。移籍後は打率.328と復調して、ウィリー・スタージェルデーブ・パーカーらとともに活躍し、チームをワールドシリーズに導く。ボルチモア・オリオールズとの1979年のワールドシリーズ〔対戦相手オリオールズの三塁手は、1988年に1シーズンだけヤクルトスワローズに在籍したダグ・デシンセイであった。〕では打率.375を記録し、ワールドシリーズ制覇に貢献した。
(打率.341)・(打率.323)にもナショナルリーグ首位打者を獲得し、カブス時代とあわせて、「2球団でいずれも2回(以上)首位打者を獲得したメジャー史上初の選手」になった。
シーズン途中には3選手との交換トレード〔交換相手の一人がR・J・レイノルズ(後に横浜大洋ホエールズ近鉄バファローズでプレー)であった。〕でロサンゼルス・ドジャースに移籍。シーズン途中にはドジャースを解雇され、デトロイト・タイガースに移籍。いずれのチームも移籍1年目には地区優勝したが、リーグチャンピオンシップシリーズで敗れ、ワールドシリーズ出場はならなかった。
マドロックがメジャーに在籍した1973年から1987年の間に、ナショナルリーグ首位打者になった右打者はマドロックの他にいない。三塁手として4回の首位打者は、1988年にウェイド・ボッグスに更新されるまでメジャー歴代最多であった。1970年以降に4回以上ナショナルリーグ首位打者になった選手は、現時点で他にトニー・グウィン(8回)のみである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビル・マドロック」の詳細全文を読む




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