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ビル・ラズウェル : ミニ英和和英辞書
ビル・ラズウェル[びる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビル : [びる]
 【名詞】 1. (abbr) building 2. bill 3. (P), (n) (abbr) building/bill

ビル・ラズウェル : ウィキペディア日本語版
ビル・ラズウェル[びる]

ビル・ラズウェル(Bill Laswell、1955年2月12日-)は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の音楽プロデューサーベーシスト
ジャズファンクダブテクノアンビエントアヴァンギャルドワールドミュージックまで広範に音楽を手がけ、関わったアーティスト、作品は膨大な数に上る。
== 来歴 ==
1960年代後半のファンカデリックなどのサイケ・ロックや、イギー・アンド・ストゥージズMC5などが活躍していたデトロイトのガレージ・ロック・パンク・シーンに影響を受ける。
1970年代ニュー・ヨーク実験音楽・シーンに触発されてジョルジオ・ゴメルスキーのロフトに参入。ヘンリー・カウ、マグマなど多くのアーティストと交流を開始。

70年代後半 主要プロデューサー、パートナーとして、パリ在住のジョン・カラコスのレーベル、セルロイド・レコードでの制作を始める。国内外のアヴァンギャルド音楽のアルバムの配給を行う。
1978年頃GONGのビートニクデヴィッド・アレンニューヨーク・ゴングを結成。

1979年頃エンジニアのマーティン・ビシとともにブルックリンにてレコーディング・スタジオを設立。ブライアン・イーノをスタジオに招き、レコーディング。スタジオ・コンセプトが気に入ったイーノが機材を提供する。歴史的なノー・ウエイヴの録音やマイケル・バインホーン、フレッド・マーらと実験的ファンク・バンド「マテリアル」の活動を開始。並行してアート・リンゼイ、アントン・フィア、フレッド・フリスらとのゴールデン・パロミノスでの活動も行う。

1980年代ヒップ・ホップ・ミュージック・シーンに合流し、ファブ・ファイブ・フレディとの「Change The Beat」やアフリカ・バンバータとのTime Zoneで12インチをセルロイドからリリース、ラップ・ミュージックのオリジネイター、ラスト・ポエツのアルバムも配給する。
1983年、ラズウェル / マテリアル全面バックアップによるハービー・ハンコックの「フューチャー・ショック」が、スクラッチやエレクトロニクスを駆使したヒップホップの名盤として高い評価を受け、グラミー賞を受賞。初のソロ・アルバム「Baselines」を発表
1985年 フィリップ・ウィルソンと結成したバンド、デッド・ライン発表。マヌー・ディバンゴ、バーニー・ウォーレル。ジャコ・パストリアスらがゲストとして参加。 Pil「Album(1985)」、坂本龍一「Neo Geo(1987)」などの作品プロデュースの他、スライ&ロビーのリズムセクションを起用したミック・ジャガー「She's The Boss(1985)」、オノ・ヨーコ「Starpeace(1985)」などのアルバムや、実験的なスライ&ロビー名義のアルバム「Sly & Robbie "Language Barrier"(1985)」、「Rhythm Killers(1987)」なども制作している。
1986年にラスト・イグジットの活動を始め、グラインド・コアノイズのサウンド・プロデュースへと実験を試みる。
この時期の主なプロデュース作品はモーターヘッド「Orgasmotron(1986) 」、イギー・ポップ「 Instinct(1988)」、ラモーンズ「Brain Drain(1989)」ホワイト・ゾンビ「Make Them Die Slowly(1989)」などがある。

1990年代以降はクリス・ブラックウェルアイランド・レコードにAXIOM・レーベルを立ち上げて電子音楽デトロイト・テクノへの関心を高めフリー・ジャズやダブと絡めて行く。
1991年、ペインキラー、プラクシスといったグループを結成し活動を開始。
デッド・ライン名義で、ブーツィー・コリンズやジョナス・エルボーグらと共演し、アルバムを制作した。
1992年のマテリアルのアルバム「Transmutation (Mutatis Mutandis) 」のレコーディングにはDJ KRUSH、DJ Spooky、ジャー・ウーブルファラオ・サンダースブーツィー・コリンズバーニー・ウォーレル、ウィリアム・S・バロウズをゲストに迎えて制作している。
レコーディング・エンジニアのオズ・フリッツとともにアフリカ、アラブ、アジア、カリブなど世界各地でのフィールド・レコーディングや、それらを素材にしたダブ作品をサブ・ローザ・レーベルや多数のレコード・レーベルから発表する。1999年にサブ・ローザ・レーベルからカット・アップを多用した作品「Hashisheen -The End Of Law」をリリースしており、ジェネシス・P・オリッジとの共同作品を収録している。
また1990年代中頃からリミックス・プロジェクトを初めて1997年ボブ・マーリー「Dreams of Freedom (Ambient Translations of Bob Marley in Dub) 」、マイルス・デイヴィス「Panthalassa (the music of miles davis 1969 - 1974)(1998) 」、カルロス・サンタナ「Divine Light – Music from Illuminations & Love Devotion Surrender(2001)」などラズウエルの考察による再構築アルバムを制作している。
2000年代に入ると琉球アンダーグラウンドニルス・ペッター・モルヴェルら新世代のアーティストのリミックスも手がけ、インド音楽とダブを融合させたタブラ・ビート・サイエンスを始動させる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビル・ラズウェル」の詳細全文を読む




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